昼日中にあってなお、その街は闇が支配していた。 そう遠くない昔、天地球の首都であった都に今やその面影は無い。 光に満ち溢れていた空はスモッグとネオンが取って代わり、無垢な子ども達が駆けていた路上は、銃器を持った兵士達が下卑た笑い声を上げながら跋扈している。 増殖するバイオビルの根は、あたかも、この星が侵略され行く様を模しているようだった。 ――かつて、誰もが希望に満ちてこの街の名を呼んだはずだった。 帝都テラサピエンス……お守りの理想郷、と。 「……報告は以上です」 悪魔軍の長たる主に頭を垂れ、ダークヘラは手元のファイルに書かれた文字を読み上げた。 しかし、闇の玉座に君臨する王は、何の感慨も浮かばぬ表情でただ手の中のグラスを弄んでいる。 己の言葉が届いているのかヘラが不安になり始めた頃、ようやく、応えは返ってきた。 そうか、と。ただ一言、忽略な響きをもった相槌だけが。 かっと、頭の芯が熱くなり、ヘラは顔を上げた。 自分とて軍の幹部なのだ。 それも、誰よりもこの闇の王に忠誠を捧げていると自負している。 自分以上に彼に心酔し、その理想を理解しているものなど居ようはずもない。 なのに、このようになおざりにされるなど。 「ブラックゼウス様……! 恐れながら、申し上げます! バイオミュータントたちの取った行動は明らかに軍規を逸脱しています! 特に、サラジンは実験場でも命令違反を重ね、謹慎中のはず! リトルミノスとて、整備主任を脅し、ヘリレオンを強奪していくなど……。 ここまでいけば、これはれっきとした反逆行為です!」 感情の高ぶるままに、ヘラはもう一度デビルゼウスに訴えかけた。 なぜ、あのような不遜な輩を取り締まらないのか。その声色は幾分、非難の声を含んでいた。 「そうか」 しかし、返って来たのはやはり無感動な相槌だけだった。 いつからだろうか。この主が、ヘラにはひどく遠く感じられる時がある。丁度、今のように。 そう感じてしまった事が無性に苛立たしく、ヘラは更に声を荒げる。 「……! ゼウス様! 適切な処罰を――」 「――ヘラ。お前はいつからわしに意見できるようになったのだ?」 闇が蠢き、ヘラは凍りついた。 デビルゼウスとかち合った瞳から、異論を許さぬ、絶対零度の暗黒が流れ込んでくる。 何か返さねばと思うものの、喉は詰まり、汗が喉を伝う。 これ以上異議を申し立てた所で、主は考えを変えようとはしないだろう。 むしろ、自分が不評を買うだけに終わるのが関の山だ。 バイオミュータントたちの事は不満ではあるが、それで自分の立場を危うくしては本末転倒である。 口惜しい感情を抱え、ヘラはファイルの端を握り締め、失言を詫びるべく、再び頭を下げた。 「おうよっ! いつから意見できるようになったのだ、だ!」 尻馬に乗るドジキュラーの声を遠く聞き流しながら、ヘラは無言のままその場を退出した。 ダークヘラと、ついでにドジキュラーが儀礼どおりの挨拶を済ませて退室した後、王座の間には静寂が訪れた。 しかし、それは一瞬のことでしかなかった。 部屋に落ちた影……、魔雲ガスが生み出す暗雲が作り出した影の中から、嘲笑めいた笑い声が響き始めたのだ。 笑い声は反響し、次第に部屋を埋め尽くす。 「モーゼットか。何用だ」 微動だにせぬまま、ブラックゼウスは虚空に言葉を投げた。 『なに。悪魔の……否、この世の支配者ともなろう者が、ずいぶん寛大な振る舞いをすると思うと可笑しくてな』 ブラックゼウスが腰を下ろした玉座の後ろ、その暗闇の部分から、『それ』は唐突に出現した。 それは影だった――影以外の何者でもなかった。 形としてはマントを着た老人に見えなくもない。 しかし、半透明な体と、そして体から立ち上る黒い闇炎が『彼』を実体のないものだと知らしめていた。 「……太古の亡霊めが。下らぬ皮肉を零しに来たわけではあるまい」 苛立たしげにグラスの酒を飲み干すデビルの背で、闇の中の、一点の光……モーゼットの悪意にぎらついた目が静かに閉じられた。 『――源層界が動き出した』 「!」 源層界。それは神の国の名。 ほとんどの者ならば、耳にすることもなく一生を終えられる世界の名だ。 ブラックゼウスとて、モーゼットから教えを請わなければ知らぬままだったかもしれない。 しかし、今は違う。王たる己より上に君臨する世界など、その存在すら許せようはずもない。 ブラックゼウスにとって……巨魔界神を復活させようとする身にとって、源層界は唾棄すべき存在であり、敵だった。 「予想より、早かったな」 動揺を抑えるよう、深く息を吐き出しながら、ブラックゼウスは窓の外に目をやった。 『予想以上に、順調に運んでおると言うことよ。 案ずる事はない。アノド様は絶対。天秤はすべて、汝ら悪魔のために……』 「そう……すべては我らがために……」 窓の外では巨魔界神ザイクロイド・アノド復活のためのドームが着々と建設されていた。 ブラックゼウスは魅入られるように建物を見つめている。 その後ろでモーゼットがどんな顔をしていたのか、知る者はいない。 |