Episode 3-2


 「よろしいですかな?」

 確認の言葉に、今度こそ四人は首を縦に振った。遮りの言葉をかける者はいなかった。
 トンガラテスは一つ頷くと、杖をかざし、瞳を閉じた。
 杖の先の輝石に光が集まって行き、次第に目を開けているのが辛くなってくる。
 そんなフェニックス達など意に介さぬように、老賢者は朗々と声を張った。
 
 「時の扉よ。今ひとたび針を止め、大いなる知恵の門を我らが前に開きたまえ!」

 その呼びかけは、とても老人のものとは思えぬほど凛とした響きを持っていた。
 輝石の輝きは最高潮に達すると、虹色の帯となって周囲に伸びた。
 帯は滝の、せせらぎの、赤い水を絡めとり、空中へと持ち上げる。
 虹と水で織られたカーテンが幾重にも天を覆っていくのを、フェニックス達は目をすがめながら見つめた。
 やがて、光が収まると、そこには巨大な球体が浮かんでいた。
 表面は滑らかで淡く光を透けさせる様は赤い水晶で作られたようだった。
 しかし、見惚れている暇はなかった。トンガラテスは無造作に飛び立つと、その水晶球の中に消えてしまったのだ。
 慌ててフェニックスたちも飛翔し、その後を追う。
 入り口がない事に戸惑ったのは最初だけだった。球体はなんら抵抗なく、フェニックス達を内側へ通した。

 「!?」

 赤水晶の門を通り抜けた先、フェニックスは目を見開いた。
 そこには星型のドームが静かに存在していた。
 見間違えるはずがない。これは彼が良く訪れた、歴史館だ。

 「どういう事だ!?」

 フェニックスが疑問を漏らすより先に、ティキが声を荒げた。

 「どうして帝国の王立図書館がここにある!?」

 その疑問に、今度は三人がティキに怪訝な眼差しを向けた。

 「何言ってんの? ここは灰色の谷じゃない!」
 「ええっ!? テラサピエンスの知識の塔だろ?」
 「ぼくには歴史館に見えるけど……」
 『――落ち着きなされませ』 

 やいのやいのと騒ぎ始める少年少女を包むように声が響いた。
 声は反響し、どこから漏れているのかはわからない。
 
 『ここは時空を超越した空間、外郭は各々方が知覚しやすい姿に視覚化されておるだけの事。
  戯れておらず、はよう中にお入りください。
  なにせ、某には一度しか空間を開くパワーがありませぬ故』

 顔を見合わせた四人は、誰ともなしに『入り口』へと向った。
 自動扉――おそらく、四人とも見えた扉の姿は違ったのだろうが――をくぐったフェニックスは、呆然とした。
 そこにあったのは、おびただしい数の本だった。
 空間を取り囲む壁全体に書架が並び、天井が見えないほどの高さまで伸びている。
 その一つ一つには限界まで本がしまわれており、様々な色の背表紙をこちらに向けていた。

 『イデアステート空間へようこそ。ここにはあらゆる智が眠っておりまする』 
 「ね、眠っておりまする、って言われても……」

 フェニックスは困って周囲を見回した。
 確かに、膨大な知識が眠っているのだろう。だがこんなの、どこから手をつければいいのだ?

 『――問いなされ。さすれば応えは与えられましょう』
 
 フェニックスの心を読んだかのように、再度、聖魔士の声が響く。
 フェニックスは更に困惑した。いきなり問えなどと言われても、質問なんか思いつかない。
 その一方で、いかにも良い事を思いつきました、という顔をしているのがマリアだ。
 何でもわかるのよね、と前置きをして、マリアは右手を高々と上げた。 

 「質問! アノドの倒し方!」

 しばし、沈黙が落ちる。

 「ちょっと! 何でも答えられるってウソなわけ!?」
 『……智を紐解くまでもありませぬな。強きものを倒すには、より強き力にて凌駕すれば良い』

 ぶーぶーと文句を垂れるマリアに、返ってきたのは至ってシンプルな返答だった。
 ふくれっつらのマリアに並んで、アスカが天井を向き、それだけかよ、と呟く。  
 声が、幾分か苦笑の色を孕んだ。

 『ここには無限の答えが眠っておりますれども、問いかけを見つけるは各々方自身故。
  良き問いには良き答えを。そうでないものにはそれなりに、というわけでござりまする』
 「要するに、質問は具体的にという事だな」

 本棚から勝手に一冊引き抜いていた本のページを閉じ、ティキが鼻を鳴らした。

 「なら、次はおれの質問に答えてもらうぜ。
  ――なぜ、ハムラビたちはアノドを封印するにとどめた?
  源層界で話を聞いてから、ずっと疑問だった。なぜ、その時トドメを刺してしまわなかったんだ」
 『ふむ……。その質問は世界の成り立ちを理解せねばなりますまい』
 
 ぽう、と淡い光が書架の一角を染めた。
 まるで見えない手に運ばれるように一冊の本が抜き取られ、四人の前に滑り出る。
 表紙を見ていたマリアが、げ、と声を漏らした。
 
 「これ、古代文字じゃん」
 『如何にも。僥倖、僥倖。姫様は学習なされていらっしゃいましたな』
 「姉ちゃん、読めるの?」
 「ま、まあね、少しは」

 尊敬の視線を向けられ、マリアの頬が更に引きつった。

 「なんて書いてあるんだ? 読んでみろよ」
 「いや。これは止めて別のにした方が――」
 「マリア」

 ティキの催促に、半笑いを浮かべたままマリアが本を押しやろうとする。
 それを、フェニックスの呼びかけが押しとどめた。
 あー、だの、うー、だの零しながらマリアは渋々といった態でページを捲る。
 開かれた一ページ目にはフェニックスが見た事もない形の文字が並んでいた。
 感じとしては石版に描かれているものに近いが、なんとなく、雰囲気が違う。
 マリアの紅玉の瞳が文章を追い、やがてカリ、と爪を噛む音が響き――

 「ギブ! 無理! もっと簡単なのないの、簡単なの!」

 灰色の谷の姫君のプライドは、あっさり放棄された。
 アスカが肩を落として目を見開き、ティキはと言えばたまらず噴出している。

 「やっぱりな。んな事だろうと思ったぜ」
 「あ、アンタ……! わかっててやらせたわね!?」
 「ほれ、貸してみな」

 中空に浮いたままだった本を、無造作にマリアの手からティキは奪い取る。
 
 「――『これより語るは創生の歴史なり。
  古の時、異空のそらより金色の神、舞い降りん』……」
 「ティキ、読めるのか!?」
 「古代語ならおれも習ったからな。文武両道がおれのポリシーだ」
 「……悪かったわね、武に偏ってて」

 驚嘆するフェニックスに優越感たっぷりにティキが答える。
 意味有りげにちらりと向けられた視線に、マリアがじっとりとした眼差しを向けた。
 今度こそ尊敬の眼差しを向けるアスカを横に、フェニックスは苦笑するしかなかった。

 (ひょっとしなくても、フッドはこういう勉強もさせたかったんだろうな)
 
 灰色の谷の姫君とどちらに軍配が上がるかは謎だったが、
 座学からしょっちゅう逃げ出していたのはフェニックスも同様だった。
 だがもちろん、口に出したりはしない。
 マリアが弄られたように、かの王子殿と来たら付け入る隙を見つけたが最後、徹底的にからかうのだ。
 わざわざ墓穴を掘らない程度の分別は、フェニックスも持ち合わせていた。
 そうこうしているうちに二項、三項とティキは書物を読み解いていく。
  
 「なるほどね……。
  この世の森羅万象は、神が塵とガスの世界に理力を吹き込むことで生じたそうだ」

 さして面白くもなさそうに、ティキが内容を要約する。

 「神……。聖神ナディアたちかい?」
 「なんでだ、アホ。
  おれたちはもっと高位の神を知っているだろうが」
 「……! 超聖神……!?」

 綺麗にハモった三人の声に、正解、とティキは頷いた。

 「なんで、ハムラビたちが封印にとどめたのかもなんとなくわかったぜ。
  超聖神の存在を完全に世界から絶てば、万物は再び元素に還元され、塵とガスに戻ってしまう――
  そういう事だろう? トンガラテス」
 『如何にも如何にも。異星の戦士は頭も切れるようでござりまするな』
 「……出来が悪くて悪かったわね。つまり、どういう事なわけ? アタシたちでもわかるように説明してよ、先生」

 つまりだな、と前置きしてティキは本を閉じた。

 「例えば、だ。水を入れたコップがあるとする。コップが突然消えたら水はどうなる?」
 「どうなるって……」
 「こぼれるよね、バシャーっと」
 「そう。『入れ物』をなくした水はコップの形状を維持できなくなる。
  この世界もそれと同じなわけだ。
  超聖神の加護……理力で形作られた『入れ物』の形状に収める事で、世界は形作られているんだ。
  もし、超聖神を完全に世界から絶てば、さっきの例えと同じことが起きる。
  支えをなくした万物は形状を維持できず、元の形……塵芥に戻ってしまう。
  故に、ロココたちは封印――それも、不完全なものにとどめ、超聖神と世界の繋がりを断ち切らぬようにしたってわけだ」
 「それじゃあ、アノドは倒せないってことか!?」
 「不本意ながらこのままだとそうだが……」
 『早合点なさるな。ナディア様方とて、ただ手をこまねいていたわけではありませぬ。
  その本の、三十三章を参照なされ』
 「……トンガラテス。アンタ実は口出したくて仕方ないんでしょ?」

 降って落ちた声に、マリアがぼやく。返答はなかった。
 フェニックスとアスカが覗き込むのを邪魔そうに追い払いながら、ティキは指定された項を開く。
 刺すような厳しさで文字を追っていた少年のエメラルドが、不意に見開かれた。

 「――そうか! 輝神樹か!」
  
 一人顔を輝かせるティキに、三人は解説を急かす。
 秘密を握る者特有の、たっぷりとした余裕を見せ付けてから、ティキは再び語り出した。

 「超聖神……アノドの作ったからくりに気づいた神々は、世界を造るエネルギーを代替させる事を考えた。
  それが、輝神樹だ。
  あの光の木は長い時間をかけ、あらゆる命ある星の深くに根を張った。
  そうして超聖神が滅びても世界が持ちこたえられるよう、生命力を放出し続けているんだ」
 「なるほど……」
 「ただし、犠牲も大きかった。
  世界を造り直すようなもんだ。神々達はその力を失い、源層界は廃れた。
  おれたちのパワーアップにすら関われないほどにな」
 「神様と言えばさぁ」

 不意に、アスカがぽつりと呟いた。
 視線が集中し、たいした事じゃないんだけど、と前置きしてアスカは続ける。

 「おいら、ずっと不思議だったんだけど。超聖神……アノドはずうっと昔に封印されてるんだよね?
  なんで、天使と悪魔は争い続けてるの?」
 「バカだからじゃねえの?」
 「でもさ、聖魔和合って時代もあったんだろ? 一度仲良くなったのに、なんでなのさ」
 『それは――これをお見せするのが早かろう』

 知らねえよ、とティキが切り捨てるより先に、一冊の本が降りてきた。
 今度はフェニックス達にも題名が読めた――読めたのだ。
 その文字は天聖語でも帝国語でも、ましてや古代文字でもなかった。
 形状としては間違いなく見た事などない文字なのに、ずっと慣れ親しんできた言葉のように意味がわかるのだ。
 そこにはこう書いてあった。ギリテス大予言伝、と。

 「で、どこから手をつければいいんだ? 喋るブックマーク」

 先ほどの書物よりも分厚いそれを、少々もてあまし気味にティキが天を仰いだ。

 『最後のページをご照覧あれ』
 
 栞扱いされても聖魔士は気を悪くした様子はなく、淡々と言葉を紡ぐ。
 不可思議な要求に一同は首を傾げあったが、結局、フェニックスが背表紙側を開く。
 
 「な、なんだこりゃ!?」

 アスカが叫び、ティキが息を呑み、マリアが身を乗り出す。
 そこには文字が『書かれて』いた。
 虫のようにうごめくインク跡が後から後から滲み、新たな文章を編纂していく。
 それは預言書であると同時に、歴史書だった。

 『思念とは』

 唖然と本に見入る四人の上でトンガラテスの声が響く。

 『思念とは、個人の中で生ずると同時に複数の存在の間で存在できるもの。
  アノドが封印されたとしても、その意思を継ぐものがおったなら?
  歴史を修正し、彼奴の言いように脚本を書き続ける者がおるとしたら?』  
 「それが……ブラックゼウス……スーパーデビルなのか……?」
 『ある意味では正しく、ある意味では間違いでござりまする』

 乾いた声で問いかけたフェニックスに、返って来た返答はなんとも曖昧なものだった。
 どういうこと、とマリアが続ける。

 『かの魔帝に公正な審判を下せるものがどれだけ居りましょう。彼奴にも、知恵を与えたものがおりますれば』
 「デビルに……!?」
 『左様。そやつの名は、魔導モーゼット――闇の石版の宿主でござりまする』
 「――ふざけるな!!」

 知らず、フェニックスは叫んでいた。頬が紅潮し、赤銅色の瞳が潤む。
 きっ、と音が鳴りそうなほどきつい眼差しで本を睨むと、フェニックスは唇を噛んだ。

 「あいつのせいで……どれだけの天使や悪魔が戦いに巻き込まれたと思っているんだ!
  なのに、あいつも犠牲者だって言うのか!?
  認めない――そんなの、ぼくは認めるものか!」

 頬を伝う雫をぬぐいながら、フェニックスは吼えた。
 マリアが眉を下げながら心配そうに名を呼んでくる。ごめん、と掠れた声で返して、フェニックスは顔を上げた。
  
 『正義とはうつろうもの。
  立場が変われば善悪は逆転し、意味を成さぬものとなりましょう。
  しかし、各々方はその中で、ゆるぎなきものを見つけねばなりませぬ。
  老骨から一つ助言をするならば――』

 トンガラテスの言葉の先を待たず、不意に空間が揺らいだ。
 直後、書架の壁の一角に巨大な穴が穿たれ、荒ぶる風が少年達を凪ぐ。
 互いに身を寄せ庇い合う横を、幾冊もの本が飛ばされ、ばさばさと悲鳴のように音を立てて転げていった。

 「――ようやく見つけたぜ、がきどもぉ!」

 風にすがめた目をようやく開いた先。
 そこには機械悪魔――マスターネロがこちらを見つめて笑っていた。



TOP inserted by FC2 system