Episode 3-1


 マスターネロは不機嫌だった。
 負傷が癒えた矢先、言い渡された任務は前線基地の視察だった。
 幹部としては当然の任だったが、自身を生粋の戦士と自負している彼にとっては不本意な事この上ない。
 こんな役目は古株である自分ではなく、新参者のバイオミュータントにでもやらせておけばいいのだ。
 通達を持ってきたダークヘラにそう訴えたものの、ブラックゼウスの名を盾にされ、結局、不承不承命令を受け入れる羽目になってしまった。
 せめて敵でも攻め入ってくれば楽しみもあろうが、どうせ、お守りや天使にはそんな力も気概もありはしない。
 窓に映る空は彼の心を模したかのようにどんよりと曇っている。
 これから続く物憂い時間に思いを馳せ、マスターネロはため息をついた。
 
 「退屈そうね」

 不意に、ノックも無しに扉が開いたかと思うと、女の声が飛び込んできた。
 椅子を回転させ、マスターネロが扉の方へと向き直ると、無礼なその客は悠然と微笑んでいた。
 声の主は、まだ少女と言って良い頃合の娘だった。
 狐の耳のように逆立てた金髪の影で、紅玉で出来たイヤリングが煌めく。
 確か、名は――

 「アマゾ・アムル……だったか」
 「ええ。覚えていてくださって、光栄だわ」 

 心底不機嫌に顔を歪め、マスターネロは娘に用向きを尋ねた。
 彼にとって、この娘もまた己の分をわきまえぬ新参者だった。
 しかし娘はと言えば、兵卒達を凍り付かせる重鎮の、渋い顔など意に介さず微笑を浮かべ続けている。

 「今日はね、貴方に素敵な知らせを持ってきたの」

 ヒールが床を打つ音が響く。マスターネロがぎょっとするほど距離を縮め、娘は囁いた。
 香水だろうか。揺れた髪の毛からふわりと甘い香りが広がった。
 優しく触れられた頬に機械仕掛けの心臓が脈を早めた気がして、マスターネロは娘から目を逸らし、言葉の先を促した。
 娘は悪戯っぽく桃色の唇を持ち上げると、背伸びをして『知らせ』をささめく。
 
 「フェニックス達が、すぐ近くまで来ているわ」
 「本当か!?」

 マスターネロの目の色が、目に見えて変わった。娘の肩を乱暴に掴み、ことの真偽を問い詰める。
 嘘じゃないわよ、とアムルは拗ねたような表情を作った。
 マスターネロは困惑した。悪魔軍においては手柄の横取りなど日常茶飯事、協力プレーなどと言う言葉はない。

 「……なぜ、それをおれさまに教える?」

 目の前の娘が何を考えているのか理解できず、結局、威嚇するようにセンサーアイで睨みつけながらマスターネロは直接問うた。

 「貴方なら、私より上手く立ち回れると思ったから」

 娘にとって、その問いは想定内だったのだろう。
 まったく動揺など見せず、再び花の綻ぶような微笑を浮かべ、言葉を紡ぐ。
 その声に含まれる艶と尊敬の念に、マスターネロはようやく結論を導き出した。
 この娘は、自分に取り入ろうとしているのだ。
 そう理解すると、甘えた調子の娘が急に愛らしく思えてきて、マスターネロは口角を持ち上げた。
 先ほどまでの不機嫌さはもはや、綺麗に消えている。
 掴んだままだった娘の肩から手を離して、マスターネロは椅子から立ち上がった。

 「往くの?」

 無邪気に娘が尋ねてくる。
 心配など無用だ、とニヒルに――少なくとも当人はそのつもりである――笑うと、マスターネロは娘の金髪を大きな手で撫で付けた。

 「おれさまを選ぶたぁ、なかなか見る目があるじゃないか。
  がきどもを血祭りにあげた暁には、部下にしてやってもいいぜ」
 「ほんとう?」
 「男に二言はねえさ」
 「嬉しい。頑張ってね」

 金属製の冷たい指にキスを落とすと、娘はマスターネロから身を離す。
 エンジンがかかったかのように、背中のウイングからエネルギーを放出すると、マスターネロは飛び立った。
 入り口からではなく――窓を突き破って。
 きらきらと硝子の破片が振り落ちるその中で、不意に娘の表情から笑顔が消えた。

 「馬鹿な男」

 それだけ呟いて踵を返すべくヒールを動かせば、足元で硝子が割れ、硬い音を立てた。

 「――姫様。こちらでしたか」

 背後で自動ドアが閉まった矢先、娘の前に影が立ちはだかった。

 「Dr.カノン」

 名を呼ばれた老人はひひ、と醜悪な笑みを浮かべ、アムルの手を取りすべらかな肌を撫でさする。

 「『新型』の理力の波形が安定しませんでなあ。また少し、実験に『協力』していただこうかと」
 「わかった、行くわ」

 柔らかな少女の腰まわりに無遠慮に手を伸ばし、実験室を示唆する老人に、アムルは粛々と付き従う。
 その表情には何の感慨も浮かんでいなかった。



 あたりは轟音が支配していた。
 腹に響くとどろきの主は、崖をまたぐ滝だった。
 流れ落ちる激流は途中でいくつにも分かれ、まるで計算されてデザインされた噴水のように岩肌を彩っている。
 滝の頂は雲間に隠れるほど遠く霞み、見えはしない。 
 いくつもの流れが作り出すプリズムに、あちらこちらに浮かび上がる虹は幻想的とすら言えた。
 ただ一つ、残念な事に――その水は赤かった。

 「……やっぱり、石版のせいかな」
 「残念よね。元は綺麗な水だったでしょうに」

 滝つぼの淵に立ち、フェニックスは緋色の滝を見上げて呟いた。
 その横に立つマリアが同意の頷きを返す。

 「でも、魚は無事みたいだよ。化けもんにもなってないし」

 景観の喪失よりも、食事の心配をしなくてすむ事を喜ぶ声が混ざる。アスカだ。
 どれどれ、とマリアが覗き込んだ先、きらりと水面が光った。
 鱗の煌めきではない。紅の深淵を泳ぐのは、橙がかった金髪を持つ、半裸の少年だ。
 その腕が水を一掻きする度に、手首を彩る濃紺の腕輪が光を反射する。

 「お前ら……人に働かせて、のんきにお喋りしてんじゃねえ!」

 岸まで泳ぎ着いたティキは、水から顔を出すと開口一番、文句を言い放った。
 しかしながら、少年の口の悪さにはもはや三人とも慣れたもの。誰一人リアクションは返さず、岸辺へと近づく。
 更に憮然とするティキを急かすように、フェニックスが水面へ手を伸ばした。

 「ティキ、石版の欠片は!?」
 「おれを誰だと思ってやがる。……見つけたぜ」

 フェニックスの手を借りて地上に上がったティキは、ズボンのポケットから石の破片を取り出した。
 手の平に収まるその欠片は古代文字が彫られ、淡い光を宿している。
 顔を明るくする一同に向かい得意げに鼻を鳴らすと、ティキは髪から滴る水滴を払った。
 
 「ったく。変質しているのが色だけで助かったぜ」
 「ってぇ! ちょっと待ったぁ!」

 ベルトに手をかけたティキへとマリアが声を荒げた。その顔は、赤い。

 「脱ぐんなら影でやってよね、影で!」
 「なに考えてんだ、スケベ」
 
 ティキのセリフに一瞬面食らった後、マリアの顔が更に赤くなる。もちろん、恥じらいのためではない。
 フェニックスとアスカは困り顔で互いを見合わせた。

 「いいから、とっとと向こうに行けーっ!」

 マリアの怒号に、へえへえ、と気のない相槌を打ちながらティキは木陰に向う。
 うるせえ女は嫁に行けねえぞ、と余計な一言を付け足すのも当然忘れない。
 足元の石を持ち上げようとするマリアをフェニックスが押しとどめ、放り投げられた欠片をアスカが慌ててキャッチした。

 「それで、次の聖魔士って言うのはどんな人なの?」

 いささか緊張した面持ちで、フェニックスは肩を怒らせる少女に問いかけた。
 不意打ち、幻術、催眠と、これまで聖魔士からは毎回手痛い歓迎を浴びせかけられている。
 今回も戦闘になるかもしれないと思えば、油断は出来なかった。
 対するマリアは見知った仲の気安さからか、あまり危惧はしていないようで、
 姿勢を正すとアスカの持つ石版を手の甲でノックするように小突いている。
 どうやら、新たな話題が上書きされ、怒りは収まったらしい。
 んん、と咳払いをして、マリアは真紅の前髪をかき上げ、肩を竦めた。

 「残ってるのは、ディナスとトンガラテスだね。
  どっちも戦闘能力は低いから、安心していいんじゃない?」
 「でも、姉ちゃん。この前の聖魔士だって色々しかけてきたぜ?」
 「大丈夫大丈夫、仕掛けられる前に倒せば良いんだって!」

 言うや否や、マリアは般若ブレードを呼び出した。
 なんと言うか、やる気満々である。 
 おそらく、トン甲、ボアボアと良いように手の平の上でもて遊ばれたフラストレーションが溜まっているのだろう。
 フェニックスとアスカはそっと視線を見交わし、首を横に振った。
 こうなったマリアは、放っておくに限る。
 
 「さあ、いつでも来な!」
 『……万事力押しで解決しようとなされるのは、感心致しませぬぞ』

 石版を掲げるアスカごと斬りつけん勢いで啖呵を切るマリアに応えるよう、不意に声が響いた。
 次いで、欠片から光がもやのように湧き出す。
 アスカが一歩下がり、フェニックスがいつでも飛び出せるよう膝を屈める。
 光はしばしの間あたりを漂っていたが、やがて一人の老人の形を取った。
 輝石で飾られた杖を持った老人は、静かに閉じていた瞼を開く。
 厳粛な空気が流れた気がして、フェニックスは自然、姿勢を正していた。
 だが、マリアはと言えば。

 「トンガラテス! 覚悟!」
 「おぉうっ!?」

 躊躇なく切りかかってきた剣筋から、聖魔士は出現早々、必死で身をかわす羽目になった。
 老人のたくわえたヒゲが一房切り落とされ、あたりに散る。

 「姫様……しばらくお会いできぬ間に一段と凶暴になられましたか」
 「やかましい! 変な小細工してくるアンタ達が悪いんでしょ!」

 舌打ちと共に再度切りかかろうとしたマリアの腕を、フェニックスが掴んだ。

 「ちょっと、なにすんのさ!?」
 「マリア……。これはあまりにあまりだと思うよ……」
 「……おいらも、兄ちゃんに賛成……」

 マリアはむくれた。
 だが、冷静になってみれば聖魔士は杖を握り締め、身を小さくして震えている。
 端から見れば確かに、老人虐待にしか見えないかもしれない。
 
 「妙な術仕掛けてきたら速攻斬るかんね……」

 フェニックスとアスカの白い目に耐えかねて、マリアは剣を収めた。
  
 「心外なり。某は争いは好みませぬ故」

 安堵の表情を浮かべた老人は、一つ咳払いをすると佇まいを正した。
 登場シーンのやり直しを要求するように、再度瞑目してみせる。
 再び開かれたまなこには、先ほどの動揺の影は微塵もない。
 
 「姫様においては、お久しぶりでござりまする。
  その方らが選ばれし戦士でありますな。
  某は哲仁トンガラテス。六聖魔士が一人にござります。以後、お見知りおきを」
 「……で? どういうつもり? 挨拶するために出てきたわけじゃないんでしょ?」

 膝を折り、深々と頭を垂れるその姿に、ようやく溜飲が下がったらしいマリアがフェニックスの手を払い、肩を竦めた。
 トンガラテスは嬉しそうに瞳を細めると、何度も頷いてみせた。

 「一を見聞いて十を悟る、良き心がけでござりまするな。
  左様、左様。某は姫様方をイデアステート空間へと導くために参った次第でござります」
 「……いであすてーと・すぺーす……?
  アンタ、やっぱり新しい力でアタシ達をペテンにかけようとしてるんじゃ」
 「……。姫様、それ以上殺気を向けて来られるのでしたら某は帰りまするぞ」

 言うや否や、トンガラテスの足元が淡く光に溶けそうになる。

 「あ、あの! そのイデア何とか空間ってなんですか!?」

 フェニックスは慌てて二人の間に割って入ると、両手を広げた。
 我が意を得たり、と言わんばかりの表情でトンガラテスの姿が実態を取り戻す。
 これ見よがしな咳払いをして、トンガラテスは杖を三人に突きつけた。

 「イデアステート空間とは時空を超越した非物体的、絶対的な永遠の実在。
  感覚的世界の原型であり、純粋な理性的思考によってのみ知覚できる知識の集大成でござりまする」
 「……兄ちゃん、姉ちゃん、どういう意味?」
 「ごめん、ぼくもわからない」
 「アタシも」
 「要するに、時空を超越して存在する、巨大な図書館とでも解釈していただければと」

 重々しく口上を述べたトンガラテスだが、返ってきたのは困惑を多分に含んだヒソヒソ話だった。
 あー、と呻いてヒゲを摩ると、老賢者は杖の先を引っ込めて、言い直した。
 少年達がようやく合点が言ったという表情を浮かべる。
 
 「各々、旅の中で疑問を生じさせた事でしょう。出口なき煩悶に糸を与える事こそ、某が役目。
  では、参りますぞ」 
 「――ま、待った!」

 律儀にも杖を掲げたままの姿勢で、聖魔士は動きを止めた。
 何かを、忘れている気がする。
 じれったそうにこちらを見つめるトンガラテスの目から逃れるように、フェニックスは目線を上げる。

 「……で? いい加減、おれも加わって良いか?」

 視線の先では着替えを終わらせたティキが、半眼でこちらを見つめていた……。


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