「うおおおおっ!」 慟哭と共にショットビーム十字剣が振り下ろされる。 ぶしゅ、と肉が貫かれ、血が溢れる音が響く。 サイバーテクターが解け、風が吹き行く中、フェニックスは笑っていた。 ――そして、ティキもまた。 「……目ぇ、覚めたかよ?」 「ああ……おかげさまでね」 剣は……フェニックスが振り下ろした剣は、彼自身の太股にざっくりと刺さっていた。 赤銅色の瞳からは完全に靄が晴れ、いつもの少年のものに戻っている。 痛みで幻影を追い払ったのだ。使い古された手ではあるが、有効だった。 「仲間を信じる、か……」 遠くを見て、フェニックスは呟く。 「ごめん、ティキ」 「馬鹿野郎。簡単に惑わされやがって」 「……ねえ、さっきの、もう一回言ってくれないか。 きみは仲間で、ぼくたちの事が大切だって」 「空耳だ。アホ」 そっけない言い方にフェニックスが噴出した。つられるようにティキも笑う。 「痛いね」 「ああ」 「マリアたちは大丈夫かな」 「もう少し信じるんじゃなかったのか?」 「ははっ……そうだった」 「――フェニックス! ティキ!」 噂をすればなんとやらだ。フェニックスとティキは目配せして笑いあう。 視線を上げれば少女……マリア達が駆けて来るのが見えた。 大の字に倒れている二人の姿に悲鳴に近い声をあげ、足を速める様子に、ティキは肩を抑えながら立ち上がった。 遅れてフェニックスも上半身だけを起こす。 「大丈夫だ、たいしたことねえ」 「ごめん、心配かけたね」 強がる少年二人に、マリアは憤然と事情の説明を求めようとした。 その瞬間、くぐもった声が響く。 「――しかと見届けましたぞ」 マリアの後をついてきていたアイリの胸元、正確にはそこに収められた欠片が、光の塊を放った。 気がつけば、そこには鳥のような聖魔士……マハラジャ・ボアボアが立っていた。 ティキが不愉快そうに鼻を鳴らす。 「……てめえがこのペテンの仕掛け人か」 「いかにも。 しかし、お見事でしたな。お二人とも欲望を受け入れ、乗り越えられた。 我欲であり、邪念に過ぎぬと笑われる心を、強さへと転換なされたのです」 扇で自分を扇ぎながら、朗々とボアボアは語る。 フェニックスは小声でマリアに確認する。 「マリア……この人は」 「そ。四つ目の欠片の聖魔士」 「……話を聞けない者は大成しませんぞ」 耳聡くやり取りをかぎつけたボアボアが、じろりと視線をくれる。 フェニックスは悪戯が見つかった子供の心地になり、顔を赤らめた。 その様子を満足げに眺め、ボアボアは言葉を続ける。 「欲望は炎のようなもの。衝動のまま行動すれば身を焼き滅ぼす。 しかし、欲望がなければ願いは生まれず、希望もまた生まれぬ。 欲望を己の心の一部として受け入れた時、初めて生まれる強さもある。おぬし達のようにの」 「はい……身に染みました」 フェニックスはしみじみと瞳を閉じた。 アリババの言葉。思い返せば、あれは自分の隠れた本音だ。 男としてティキを超えたいというプライドも、間違いなく胸の中にある。 ……強くなりたくて、今まで、がむしゃらにやってきた。 しかしその気持ちも一歩間違えば劇薬に変わるのだ。 ティキの優しさが強さに変わったように……。 ボアボアは何度か頷くと、大きくため息をついた。 「しかし……お二人に比べて」 じろり、と目玉が動く。教師が出来の悪い生徒を見る表情だ。 反射的にびくっとするマリア。自然、明後日の方向に視線が向く。 「特に姫様、谷におる頃からまったく成長しておられませんな。 相変わらず本能に忠実と言うか、なんと言うか……」 「お前……昔もひっかかったのか?」 ボアボアの言葉に、ティキが呆れたように半眼を向ける。 「う、いや、まあ。術をかけられては我慢できなくなって、つまみ食いに行って怒られたけど……。 で、でも! アスカよりマシでしょ!」 言いながら、マリアはくるりと背を向ける。 そこにはおぶわれたまま虚空を見つめ、数字を数え続けるアスカの姿があった。 「オロ士の末裔もか……やれ、情けなや」 ボアボアが嘆きながら扇を一振りすると、あたりの景色が一変した。 黄金の都は消え、かわりに木々といくつかの山小屋が現れる。 息を呑む三人の中、アスカが悲鳴を上げた。 「あれ!? なんで!? おいらのお金は!?」 「んなもん、ねえよ! 正気に戻ったんならとっとと降りろ!」 拳骨を振り下ろされ、バランスを崩したアスカがマリアの背中から落ちる。 腰を強かに打ちつけたのだろう。痛ぇ、と涙ぐみながらも、まだ未練がましく周囲を見回すアスカに、残りのメンバーは肩をすくめた。 「……こんなに誘惑に弱い戦士に、世界を任せて平気なんじゃろうか」 「大丈夫です」 首を捻るボアボアに、フェニックスが答えた。 表情は穏やかだが、その瞳には強い光が宿っている。 ほう、とボアボアが目を細めたのに気づいたのかどうか、フェニックスは続ける。 「ぼくたちには仲間がいる。 時に誤った道に踏み込もうとも、手を差し伸べてくれる仲間が。 一人じゃない限り、どんな誘惑も、悪意も乗り越えられる。ぼくはそう信じています」 「……そうか」 一つ相槌を返すと、用は済んだとばかりにボアボアは後を振り返り、くちばしを動かす。 「さて、光辿聖様……いや、アイリ殿。彼らの傷を癒しておあげください」 「え!? あ、あたし!?」 四人と聖魔士のやりとりを遠巻きに見ていたアイリが素っ頓狂な声を上げる。 部外者然と見ていたためか、急に振られた話にうろたえているようだった。 とりあえず抗議しようとしたのだろう、彼女は口を開く。 「あの、あたしは」 「石版を持ち、心より願えばよいのです。 あなたにはその資格がある」 アイリの困惑など知らぬようにそれだけ告げると、次第にボアボアの体が光の粒子へと変わっていく。 慌ててマリアが駆け寄り、その影を捕まえようと手を伸ばす。 「ボアボア! アンタ、アイリのこと知ってるのね!?」 「もちろん。わしの守護する欠片はアイリ殿に拾われておりましたからな。 彼女のことはよく知っておりますぞ」 「ごまかさないで! そんなことが聞きたいんじゃないわ!」 「はてさて。姫様のおっしゃることはとんと理解できませぬ。 ……さて、少々力を使いすぎましたな。わしは再び、石版の中で眠るとしましょう」 「あ、コラ!」 理力の粒子へと変換されたボアボアの体は、現れた時と同じように、あっという間に石版に吸い込まれていった。 マリアの手が虚空をすり抜ける。 「こら、出てきなさい! 石版もう一回割るわよ!?」 アイリが取り出した欠片に向かってマリアは怒鳴るも、反応はない。 小鳥が鳴く声だけが響く中、しばし一同は無言で石版を見つめていた。 その視線が、一つ、また一つと上へ上がる。 「え。いや、だからあたしは」 四対の瞳に注視され、アイリが首を左右に振った。 「姉ちゃん、やってみたら? 別に誰が困るわけでもないじゃん」 「……ボアボアは、あれで嘘はつかないのよね」 興味津々、といった様子でアスカが口火を切り、いささか疑問系ではあるがマリアが乗っかる。 ティキはこちらを睨みつけるように見つめている。静観して見極めるつもりなのだろう。 「治してくれると、助かるけど」 控えめにフェニックスは声を発した。 アイリは金髪をぐしゃぐしゃと掻くと、下がっていた眉を吊り上げる。 「治らなかったからって八つ当たりはやめてよね……?」 四者四様にこちらを見つめて来る視線から逃れるよう、防衛線を張って、アイリは石版の欠片を持ち直した。 欠片はベールのように柔らかい光で自身を包んでいる。 すう、と大きく息を吐いて、アイリはまぶたを閉じた。 「治れー……治れー……」 ぶつぶつと唱えてみるが、石版は何の反応も示さない。 まあ、そんなものかとフェニックス達が視線を交わしていると、不意にアイリがうめき声を上げた。 「アイリ?」 「……! 見て、石版が!」 大丈夫かと呼びかけたその先で少女の表情が抜け落ちていくのに合わせ、次第に石版が、音を立てて鳴り、輝き始める。 ふらふらとおぼつかない足取りでフェニックスに近づいたアイリは、彼に向かい、片手をそっとかざした。 暖かな白光がこぼれ、傷口へと染み込んでいく。 失った理力が戻り、力が湧いてくるのをフェニックスは感じた。 ――やがて、アイリがティキの方へ向かう頃には、フェニックスの傷は完治していた。 アスカが歓声を上げ、マリアが驚きに目を丸くする。 アイリは周りの喧騒など聞こえないかのようにティキの肩に手をかざしていたが、不意に崩れるようにその場に座り込んだ。 三人は慌ててティキとアイリの方へ駆け寄る。 「……治った?」 心なしか白い顔でアイリが問いかけてきた。 フェニックスは大きく頷いて、足を叩いて見せた。 見れば、ティキの傷もふさがっているようだ。 良かった、とアイリが微笑む。 「ねえ」 少女が立ち上がるのを助けながら、フェニックスは若葉色の瞳を覗き込んだ。 「やっぱり、ぼくたちと一緒に行かないかい?」 不意を突いた形になった言葉に、アイリが目を見開くのが見えた。 そのまま少女はしばらく無言でいたが、体を支えるフェニックスの腕を払うと、睫を伏せ、首を横に振った。 「……手紙に書いたじゃない。 あたしは……行きたくない、ううん、行けないって……」 「ああ。ぼくたちが四戦士の末裔だからって言ってたね」 「……そうよ。 あなた達の絆は、すごく強い。見ていたらわかるわ。 そんな中に、ルーツも知れぬ馬の骨がぽんと入るわけにいかないでしょう」 顔を逸らそうとするアイリの肩を掴み、フェニックスはやや強引に自分の方を向かせた。 「アイリ。はっきり言っておく。ぼくは勇者の力を継いでいるから戦っているんじゃない。 一人の男として、戦士として、戦うことを選んだんだ」 「……」 「もう一度会えたら、言おうと思ってた。 ぼくは、こんな形で特別扱いされても嬉しくない。引け目なんて感じて欲しくない。 きみにはロココの影じゃなく、ぼく自身を見て欲しいんだ」 「あなた自身を……見る……?」 「ぼくはまだまだ経験も足りなければ、失敗もする。今回だってそうだ。 きみは一人で行きたいと言ったね。だけど、ぼくはそんなふうに強くない。 一人でも多く、支えてくれる力が欲しいんだ」 「……。でも……」 「あー! じれったい!」 表情を揺らすアイリに、マリアが、呆れたように指を突きつけた。 「……あのさ。アンタはアタシたちの絆が凄いって言ってくれた。確かにね。自慢だよ。 けどさ、アタシ達だって、一朝一夕で今の関係になれたわけじゃないよ。 だいたい、因子がすべてを決めるなら、アタシは今頃、フェニックスの恋人じゃん」 「な、何だよ、そのたとえ。嫌なの? ひどいなあ」 「あら、意外な反応。女の子だなんて思ってくれてないと思ってたけど」 肩を竦めるマリアに、フェニックスが半眼を向ける。 寸劇じみた掛け合いを呆然と眺めていたアイリだが、その袖が引っ張られるのを感じて目線を横に向けた。アスカだ。 アスカは満面の笑みを向け、小さな手を差し出す。 「おいらだって、最初はルーツ、謎だったぜ。 だからさ、気にする事ないよ。一緒に行こうぜ、姉ちゃん」 子供特有の天真爛漫な笑顔に、アイリは口をパクパクとさせ、もう一度、でも、と渋った。 アスカから逃げるように視線を動かすと、もう一対のエメラルド――ティキの瞳と視線が交差した。 目が合うと、ティキはふいっと視線を外す。 短い付き合いではあるが、反対ならばこの少年がそれを口にしないわけがない。 「あたし――」 アイリが口を開こうとする。 しかし、途中で止まった言葉はしじまに消えてしまった。 「アイリ?」 押し黙ったアイリに向ってフェニックスが呼びかけた。 「もしも」 小さな声で、アイリが再び喋りはじめる。 今度はフェニックスが言葉に詰まる番だった。 これほど弁を尽くしても、彼女の気持ちは動かせなかったと言うのだろうか? あからさまに表情を曇らせるフェニックスの、その手を暖かなものが包んだ。 視線を落としたまま、少女が指先を重ねてきたのだ。 柔らかな手つきで握り締められていた少年の指をほどき、アイリは石版の欠片をその手の平へと手渡した。 「三度目の偶然があったなら」 その時は。 唇の動きだけで言葉を紡ぐと、アイリは踵を返し、飛翔した。 「大丈夫さ。きっと、また会えるよ」 フェニックスは誰にともなくそう言うと、笑みをこぼし、空を見上げた。 少女の姿はすでに木々にまぎれ見つけられなかったが、暖かな風が一陣、少年の頬を撫でていった。 場に流れる空気を模したように、陽光が梢の間から降り注ぐ。 ――気がつくと、霧はいつの間にか晴れていた。 |