Episode 2-4


 マリアはこれ以上ないくらいご機嫌だった。
 美味しいものをしこたま食べて、そのままお昼寝に入る。
 これ以上の幸せがこの世にあるだろうか。

 「――ア!」

 まどろみに身を任せていると、何かが聞こえ、体が揺れた。
 地震だろうか?でも、大したことはなさそうだし、もう少しこのまま……。
 唸りながらマリアは身をひねる。その瞬間、右頬に鋭い痛みが走った。

 「マリア!」
 「なに……? 誰……?」

 ひりひりする頬をさすりながら、マリアは仕方なく呼びかけに答える。

 「あたしよ、アイリ! しっかりしてよ!」
 「アイリ? アンタも来たの? ……ここ、サイコーよね。
  アンタもなんか食べたら……?」

 寝ぼけ眼でマリアは黄金卓を指差した。
 卓上には料理の山が相変わらず陳列している。

 「なに、言ってんの!
  ……やっぱり、他の人には何かが見えてるの……?」
 
 見える? 何の話だろう?
 マリアは霞がかった頭を捻った。
 その間にもう一度、容赦なく頬がはたかれる。

 「痛っ! ちょっと、アイリ! なにを……」
 「お願い、目を覚まして! ボアボアってやつが、あなた達になにかやったのよ!」
 「……ボアボア……?」

 記憶の海を探れば、しばらくしてその名は検索にひっかかった。
 聖魔士マハラジャ・ボアボア。
 自分と一緒に灰色の谷で暮らしていた者の一人だ。
 石版を守護しており、人の欲望を表出させる……力が……。

 「あああああっ!?」

 そこまで思い至った瞬間、頭の中から霧が晴れた。

 「しまった! はめられた!」

 マリアは跳ね上がるように起き上がり、いらだたしげにテーブルを蹴飛ばした。
 がしゃんと音がして、宝石と料理が床に散乱する。
 
 「マリア……? ……正気に戻った……の?」
 「そのつもりだけど。何でさ?」

 不思議そうに見ているアイリの視線が妙に気になり、マリアは問いかける。
 
 「だって、何もないところを蹴ったりして……」
 「何もない……?」   
 「何が見えてるの?いったい、何がどうなってるの?」
  
 アイリとマリアは、互いに自分の見えている光景を語りあった。
 マリアの語る黄金郷は、アイリにとっては理解できないものだった。
 なぜなら、自分の目に映っているのは蜘蛛の巣がそこらじゅうに張り、
 雨風に浸食されたのだろう、朽ちた木製の天井が辛うじて残っている小屋だったから。

 「なるほど……触感の伴った幻って事ね」 
 「ボアボアに、そんな能力はなかったはずなんだけど……なんにせよ油断したわ。
  他のみんなは?」
 「アスカくんは……あそこ」

 指差された先を見れば、アスカは床に座り込み、延々札束を数えていた。
 目は欲望にぎらぎらと輝き、子供らしくない笑みを浮かべている。

 「アスカ! しっかりしな!」
 「91、92……何だよ、姉ちゃん。邪魔しないでくれよぅ」
 「ええい、まだるっこしい!」

 マリアは拳を作ると、そのままアスカの脳天に向けて振り下ろした。
 容赦のない一撃に、アスカが悲鳴を上げる。

 「ああっ! おいらのお金!」
 「まだ正気にもどんないの!? アタシたち、ボアボアに……聖魔士にはめられたんだよ!」
 「ちょ、ちょっとマリア、あんまり手荒な真似は……!」
 
 再びアスカを殴ろうとするマリアを、アイリが間に入って止める。
 アスカはぼんやりした瞳で不満そうに、彼には見えているのだろう、札束を注視している。
 これは、起こすのはそれなりに時間を食いそうだ。

 「とりあえず、アスカはアタシがおぶっていくから。
  早く、フェニックスたちを探しましょう。
  アイリ、アンタは幻が見えないんでしょう? 道案内、お願い」
 「そうね。急ぎましょう!」
 
 少女達は頷きあうと、廃屋を後にした。
 外の霧は先程よりも濃くなっていた。



 目の前にはティキの姿をした『敵』がいた。
 サイバーテクターを纏うでもなく、生身のままこちらの剣を受け止めている。
 やっぱり偽者だ。フェニックスは思う。
 ティキは強くて、いつも格好良かった。羨ましかったと言っても過言ではなかった。
 もし目の前の『敵』が本物のティキならば、躊躇なくサイバーアップして自分を切り伏せにかかってくるだろう。 
 アリババは正しい。彼は偽者なのだ。
 
 「……ハッ! サイバーアップしてその程度か!?」

 数度剣を防ぎきった後、ティキが吐き捨てるように言った。
 それは余裕のなさを隠す強がりだったが、フェニックスには嘲弄に聞こえた。

 (――あなたは弱い)

 アリババの声が頭の中でフラッシュバックする。

 「黙れっ!」 

 はじけるようにティキへと叫び返し、フェニックスは理力を高める。
 フェニックスの背中の硬質の羽……ロックフェザーがはためき、一気にティキとの距離が縮まった。
 そのまま、十字剣の柄で思いっきり殴りつける。
 受けそびれたティキが空気の塊と共に苦痛の声を吐き出した。
 もう一撃を叩き込もうとしたところで、しなやかな体使いと共に顎を狙った蹴りが繰り出される。
 仕方なく一歩引くフェニックス。

 「しっかりしろよ!
  ……これ以上心配かけんじゃねえ……」

 祈るような調子の言葉に、カッと頭の芯が熱くなる。
 心配なんか要らない。
 お情けなんか要らない。
 ぼくは……

 「――ぼくは弱くなんかない!」
  
 慟哭と共に腕のレボルバズーカが開き、魔砕光の熱が前方を襲う。
 直撃は避けたものの、ティキは爆風で壁に叩きつけられた。肌の焼ける匂いがした。
 黄金の環壁が崩れ、砕けた宝石が光の粒となってあたりに降り注ぐ。
 フェニックスは肩で息をしながら、一歩一歩こちらに近づいてきている。
 口元から流れた血を拭っていたティキは、ふと、動きを止めた。
 
 「フェニックス……?」

 向かってくる少年の頬には、涙が伝っていた。

 「ぼくは弱くなんかない。ぼくは強くないといけないんだ。
  ゼウスじいちゃんもフッドも、みんなが待ってる。
  ……だから、おまえなんかには負けられない。勝って、みんなを取り戻す。
  そのためにティキを超えることが必要なら、超えてやる。
  ぼくはティキを超える――超えて見せる!」

 自分の歩んできた道は、スーパーゼウスが、アリババが、愛然かぐやが、フッドが……
 数多の仲間達が開いてきた血路だった。
 踏みとどまるわけにはいかない。負けるわけにはいかない。
 フェニックスはティキを睨みつけ、叫んだ。 

 「もう……もう、誰も失ってたまるものか!」

 ――そういう、ことか……。

 得心のいったティキは、静かに息を吐いた。
 実にこの天使らしい葛藤だと思った。
 残りの数メートルを詰め、ショットビーム十字剣が繰り出される。
 ティキが飛びのく軌道を計算した上での、渾身の一撃だった。

 「……な……!?」
 
 剣が振りぬかれた後――
 動揺の声をあげたのはフェニックスだった。
 剣は、ティキの肩に刺さっていた。
 
 「おまえ……どうして」

 フェニックスの声が震える。ティキは『動かなかった』のだ。

 「……フェニックス。お前、言ったよな。
  仲間を信じなきゃ戦えやしない、って」

 ティキの手が十字剣の刀身を掴む。肌が焼けて血が流れたが、構いはしなかった。
 動揺を残したまま、フェニックスは剣を引こうと力を込める。が、まったく動かない。
 それに乗じて、ティキの語りはどうだ。
 なぜ『敵』である彼がそのセリフを……灰色の谷での出来事を知っているのだ?
 何か、ひどい間違いを犯した気がして、フェニックスは唾を飲み込んだ。
 そんなフェニックスの目を、ティキは真っ直ぐ見つめて弁を振るう。

 「おれはおまえが……おまえらが大切だ。
  おれらしくない決断だと思う。 
  一瞬後には後悔しているかも知れない。
  バカやっちまったと自分を責めるかもしれない。
  だが――今のおまえに剣を向けるよりは、マシだ」

 からん、と乾いた音を立てて異星剣が路上に転がった。

 「おれはおまえを――仲間を信じる」

 ティキのエメラルドの瞳が柔らぐ。
 それは、『彼』の表情でフェニックスがもっとも好きなものの一つだった。
 たとえば故郷を偲ぶ時。たとえば、マリアやアスカを眺める時。
 いつも険しい表情の彼がたまに見せる、優しい顔。
 ……偽者なのに。何故、こいつはこんな表情が出来るのだ?
 フェニックスの戸惑いに合わせたように、剣がティキの肩から抜けた。
 手の神経がイカれて、握り続けられなくなったのだろう。

 「どうした。殺らないのか!?」

 たたらを踏んでよろめくフェニックスから、ティキは目を逸らさない。
 翠玉の双眸が鏡のように自分を映している。
 
 「う……」

 歯を食いしばれば、汗の味がした。
 
 (殺れ! とどめを刺すんだ、殺せ!)

 頭の中で声が響く。
 無意識に剣を握った手が持ち上がる。ティキの瞳は揺れないままだ。

 「う――うおおおおおっ!」

 泣き声にも似た雄たけびをあげて、フェニックスは剣を振り下ろした――。



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