マリアはこれ以上ないくらいご機嫌だった。 美味しいものをしこたま食べて、そのままお昼寝に入る。 これ以上の幸せがこの世にあるだろうか。 「――ア!」 まどろみに身を任せていると、何かが聞こえ、体が揺れた。 地震だろうか?でも、大したことはなさそうだし、もう少しこのまま……。 唸りながらマリアは身をひねる。その瞬間、右頬に鋭い痛みが走った。 「マリア!」 「なに……? 誰……?」 ひりひりする頬をさすりながら、マリアは仕方なく呼びかけに答える。 「あたしよ、アイリ! しっかりしてよ!」 「アイリ? アンタも来たの? ……ここ、サイコーよね。 アンタもなんか食べたら……?」 寝ぼけ眼でマリアは黄金卓を指差した。 卓上には料理の山が相変わらず陳列している。 「なに、言ってんの! ……やっぱり、他の人には何かが見えてるの……?」 見える? 何の話だろう? マリアは霞がかった頭を捻った。 その間にもう一度、容赦なく頬がはたかれる。 「痛っ! ちょっと、アイリ! なにを……」 「お願い、目を覚まして! ボアボアってやつが、あなた達になにかやったのよ!」 「……ボアボア……?」 記憶の海を探れば、しばらくしてその名は検索にひっかかった。 聖魔士マハラジャ・ボアボア。 自分と一緒に灰色の谷で暮らしていた者の一人だ。 石版を守護しており、人の欲望を表出させる……力が……。 「あああああっ!?」 そこまで思い至った瞬間、頭の中から霧が晴れた。 「しまった! はめられた!」 マリアは跳ね上がるように起き上がり、いらだたしげにテーブルを蹴飛ばした。 がしゃんと音がして、宝石と料理が床に散乱する。 「マリア……? ……正気に戻った……の?」 「そのつもりだけど。何でさ?」 不思議そうに見ているアイリの視線が妙に気になり、マリアは問いかける。 「だって、何もないところを蹴ったりして……」 「何もない……?」 「何が見えてるの?いったい、何がどうなってるの?」 アイリとマリアは、互いに自分の見えている光景を語りあった。 マリアの語る黄金郷は、アイリにとっては理解できないものだった。 なぜなら、自分の目に映っているのは蜘蛛の巣がそこらじゅうに張り、 雨風に浸食されたのだろう、朽ちた木製の天井が辛うじて残っている小屋だったから。 「なるほど……触感の伴った幻って事ね」 「ボアボアに、そんな能力はなかったはずなんだけど……なんにせよ油断したわ。 他のみんなは?」 「アスカくんは……あそこ」 指差された先を見れば、アスカは床に座り込み、延々札束を数えていた。 目は欲望にぎらぎらと輝き、子供らしくない笑みを浮かべている。 「アスカ! しっかりしな!」 「91、92……何だよ、姉ちゃん。邪魔しないでくれよぅ」 「ええい、まだるっこしい!」 マリアは拳を作ると、そのままアスカの脳天に向けて振り下ろした。 容赦のない一撃に、アスカが悲鳴を上げる。 「ああっ! おいらのお金!」 「まだ正気にもどんないの!? アタシたち、ボアボアに……聖魔士にはめられたんだよ!」 「ちょ、ちょっとマリア、あんまり手荒な真似は……!」 再びアスカを殴ろうとするマリアを、アイリが間に入って止める。 アスカはぼんやりした瞳で不満そうに、彼には見えているのだろう、札束を注視している。 これは、起こすのはそれなりに時間を食いそうだ。 「とりあえず、アスカはアタシがおぶっていくから。 早く、フェニックスたちを探しましょう。 アイリ、アンタは幻が見えないんでしょう? 道案内、お願い」 「そうね。急ぎましょう!」 少女達は頷きあうと、廃屋を後にした。 外の霧は先程よりも濃くなっていた。 目の前にはティキの姿をした『敵』がいた。 サイバーテクターを纏うでもなく、生身のままこちらの剣を受け止めている。 やっぱり偽者だ。フェニックスは思う。 ティキは強くて、いつも格好良かった。羨ましかったと言っても過言ではなかった。 もし目の前の『敵』が本物のティキならば、躊躇なくサイバーアップして自分を切り伏せにかかってくるだろう。 アリババは正しい。彼は偽者なのだ。 「……ハッ! サイバーアップしてその程度か!?」 数度剣を防ぎきった後、ティキが吐き捨てるように言った。 それは余裕のなさを隠す強がりだったが、フェニックスには嘲弄に聞こえた。 (――あなたは弱い) アリババの声が頭の中でフラッシュバックする。 「黙れっ!」 はじけるようにティキへと叫び返し、フェニックスは理力を高める。 フェニックスの背中の硬質の羽……ロックフェザーがはためき、一気にティキとの距離が縮まった。 そのまま、十字剣の柄で思いっきり殴りつける。 受けそびれたティキが空気の塊と共に苦痛の声を吐き出した。 もう一撃を叩き込もうとしたところで、しなやかな体使いと共に顎を狙った蹴りが繰り出される。 仕方なく一歩引くフェニックス。 「しっかりしろよ! ……これ以上心配かけんじゃねえ……」 祈るような調子の言葉に、カッと頭の芯が熱くなる。 心配なんか要らない。 お情けなんか要らない。 ぼくは…… 「――ぼくは弱くなんかない!」 慟哭と共に腕のレボルバズーカが開き、魔砕光の熱が前方を襲う。 直撃は避けたものの、ティキは爆風で壁に叩きつけられた。肌の焼ける匂いがした。 黄金の環壁が崩れ、砕けた宝石が光の粒となってあたりに降り注ぐ。 フェニックスは肩で息をしながら、一歩一歩こちらに近づいてきている。 口元から流れた血を拭っていたティキは、ふと、動きを止めた。 「フェニックス……?」 向かってくる少年の頬には、涙が伝っていた。 「ぼくは弱くなんかない。ぼくは強くないといけないんだ。 ゼウスじいちゃんもフッドも、みんなが待ってる。 ……だから、おまえなんかには負けられない。勝って、みんなを取り戻す。 そのためにティキを超えることが必要なら、超えてやる。 ぼくはティキを超える――超えて見せる!」 自分の歩んできた道は、スーパーゼウスが、アリババが、愛然かぐやが、フッドが…… 数多の仲間達が開いてきた血路だった。 踏みとどまるわけにはいかない。負けるわけにはいかない。 フェニックスはティキを睨みつけ、叫んだ。 「もう……もう、誰も失ってたまるものか!」 ――そういう、ことか……。 得心のいったティキは、静かに息を吐いた。 実にこの天使らしい葛藤だと思った。 残りの数メートルを詰め、ショットビーム十字剣が繰り出される。 ティキが飛びのく軌道を計算した上での、渾身の一撃だった。 「……な……!?」 剣が振りぬかれた後―― 動揺の声をあげたのはフェニックスだった。 剣は、ティキの肩に刺さっていた。 「おまえ……どうして」 フェニックスの声が震える。ティキは『動かなかった』のだ。 「……フェニックス。お前、言ったよな。 仲間を信じなきゃ戦えやしない、って」 ティキの手が十字剣の刀身を掴む。肌が焼けて血が流れたが、構いはしなかった。 動揺を残したまま、フェニックスは剣を引こうと力を込める。が、まったく動かない。 それに乗じて、ティキの語りはどうだ。 なぜ『敵』である彼がそのセリフを……灰色の谷での出来事を知っているのだ? 何か、ひどい間違いを犯した気がして、フェニックスは唾を飲み込んだ。 そんなフェニックスの目を、ティキは真っ直ぐ見つめて弁を振るう。 「おれはおまえが……おまえらが大切だ。 おれらしくない決断だと思う。 一瞬後には後悔しているかも知れない。 バカやっちまったと自分を責めるかもしれない。 だが――今のおまえに剣を向けるよりは、マシだ」 からん、と乾いた音を立てて異星剣が路上に転がった。 「おれはおまえを――仲間を信じる」 ティキのエメラルドの瞳が柔らぐ。 それは、『彼』の表情でフェニックスがもっとも好きなものの一つだった。 たとえば故郷を偲ぶ時。たとえば、マリアやアスカを眺める時。 いつも険しい表情の彼がたまに見せる、優しい顔。 ……偽者なのに。何故、こいつはこんな表情が出来るのだ? フェニックスの戸惑いに合わせたように、剣がティキの肩から抜けた。 手の神経がイカれて、握り続けられなくなったのだろう。 「どうした。殺らないのか!?」 たたらを踏んでよろめくフェニックスから、ティキは目を逸らさない。 翠玉の双眸が鏡のように自分を映している。 「う……」 歯を食いしばれば、汗の味がした。 (殺れ! とどめを刺すんだ、殺せ!) 頭の中で声が響く。 無意識に剣を握った手が持ち上がる。ティキの瞳は揺れないままだ。 「う――うおおおおおっ!」 泣き声にも似た雄たけびをあげて、フェニックスは剣を振り下ろした――。 |