Episode 2-2


 テントの中は暗く、僅かにたいまつの明りが灯っているだけだった。
 
 「あの……やっぱり、ぼく」

 ここにいて、ティキたちと合流できるとは思えない。
 フェニックスは場を辞しようと道案内を買って出た人物を探す。
 しかし、天幕の中には気がつけば自分一人しかおらず、出口も閉められている。
 どうしようか途方にくれているフェニックスの鼻に、ぴりりとした刺激臭が香った。

 (お香、かな……)

 あの人は、占い師さんか何かだったのだろうか。
 思い返せば、それっぽい格好だった気がする。
 しばし、ぼうっと立っていたが、人が戻ってくる気配はない。

 「あのー! やっぱりぼく、戻ります!」

 声を張り上げ、フェニックスは出口の方向を探ろうと踵を返した。

 「――……もう、行かれてしまうのですか?」
 「……!?」

 聞こえてきた声に反射的に足が止まった。
 そんなはずはない。ありえない。彼がここにいるはずがない。
 脳裏によぎる否定の言葉とは裏腹、フェニックスはよろよろとした足取りで振り向く。
 そして――そこには『彼』がいた。
 燃えるような豊かな髪がターバンからはみ出し、胸に、夢、の文字が刻印された宝玉を抱いた男性。

 ――会いたい方に会うことができますよ。

 あの占い師の言葉が聞こえた気がした。
 
 「アリ……ババ……?」
 「大きくなられましたね、フェニックス様」

 記憶の中に納められて久しい姿そのままに、聖Iアリババは微笑んだ。

 「どうして……だってアリババは……!」
 「そう、あなたの手にかけられた。
  ……しかし、ここは輪廻の廻る場所、漂うルーツの片鱗に触れられる空間……
  お久しぶりです、フェニックス様」
 
 歌うように告げ、アリババは両手を広げた。

 「……っ! アリババぁ!」

 気がつけば、引き寄せられるように、フェニックスはアリババに抱きついていた。
 部屋に焚かれた香の匂いが、顔をうずめた胸元から漂ってくる。
 アリババは、暖かかった。

 「ずっと、ずっと会いたかった……会って、会って……」
 「会って?」
 「ごめんって言いたかった……!」
 「相変わらずお優しいのですね。あなたにとってもお辛い決断だったでしょうに」

 すがり付く少年をぎゅっと抱き返し、アリババは静かに答える。
 ふと、暖かい雫がフェニックスの頬に落ちた。 

 「アリババ……泣いているの? 苦しいの? やっぱり、ぼくのせいで……」
 「フェニックス様のことを恨んではおりません。
  ただ……悲しいのです。この身は塵と化しても構わない。
  しかし、我らの願いが霧散するのを思うと、耐えがたき痛みが心を襲うのです」
 「願い……?」
 「共に何度も唱えましたね。天聖界に平和を。世界に光をと……」
 「大丈夫だよ! それならぼくが必ず叶えるから!」
 「しかし、そのための犠牲は大きい……」
 「犠牲なんて出させない! 皆はぼくが守って見せる!」
 「しかし、あなたはフッドも失った」

 アリババの口調は優しいままだったが、刃のような言葉に、フェニックスは声をなくした。

 「でも……でも、フッドは……!」
 「そうですね。彼は生きていた。本当に良かった……」

 搾り出した言葉に答えて、アリババは何度も頷き、フェニックスの黒髪を優しくなでる。
 フェニックスはうっとりと瞳を閉じ、甘美な感触に身を委ねた。
 どのくらい、そうしていただろうか。
 フェニックスの耳元に口を近づけ、アリババが不意に囁いた。

 「……良いですか。ここを出たらすぐにお逃げなさい」
 「逃げる? 何で?」
 「ここは悪魔の巣窟。すでにティキ殿達は捕らえられています。
  この建物を出ればすぐに偽の仲間があなたに接触しようとしてくるでしょう」
 「そんな! それなら、助けないと!」
 「あなたには、無理です」

 きっぱりと宣言され、フェニックスはむっとする。

 「そんなことない!」
 「あなたはティキ殿には勝てない。
  そのティキ殿が敗れたのです。勝ち目はありません」 
 「そんなの……やってみなくちゃ!」

 そうだ。やってみなければわからない。
 ティキとの訓練だって、三本に一本は自分が取るのだ。
 頭から可能性を否定される筋合いはない。
 その考えを読んだように、アリババは首を振り、フェニックスの瞳を見つめた。
 その目には深い悲しみが宿っている。

 「もう、バイオミュータント――リトルミノスとの戦いを忘れたのですか?」 

 びくりとフェニックスの体が震えた。

 「あなたはティキ殿に助けられ、辛うじて生還した。
  彼らのため、負けないと誓った戦いで」
 「そ、それは……」
 
 今度こそ、何も言い返せなくなり、フェニックスは唇を噛んだ。
 マリアもアスカも心配しこそすれ、責めては来なかった。
 しかし、自分が誓いを反故にしたという思いは、今も、澱のようにフェニックスの心に溜まっていた。

 「もう一度言います。あなたはティキ殿を超えられない」 
 「そんな、こと」
 「フェニックス様」
 
 アリババの胸から、どろりと赤いものが流れる。血臭が鼻をついた。
 よろめき、後ろに下がるフェニックスをアリババの瞳が見据える。
 そして、彼は言った。

 「――あなたは弱い」

 「…………ぼくはっ……」

 フェニックスの瞳に涙がにじんだ。



 少女は悠々自適に旅を続けていた。
 飢えることもあったが、見るものはすべてが新鮮で、さほど苦ではなかった。
 時に地を歩き、花を愛で。時に立ち止まり、悪魔の開発により泥濘と化した池に心を痛め。
 そして青空が美しいこんな日は、風に乗り、空を行く。

 (――――)

 鼻歌を歌いながら鳥を追いかけていた少女は、不意に、ちくりとした痛みを頭に覚えた。
 誰かの声が、聞こえた気がする。
 きょろきょろと辺りを見回すも、当然誰もいない。
  
 「お?」

 と、眼下で、何かが光るのが見えた……ような気がした。
 少女は理力を調節し、そちらへ向かう。
 寄り道上等。どうせ急ぐ旅ではないのだから。 



 「ネモ……!?」
 「お会いしとうございました、ティキ様」

 テントの中に踏み入ったティキを向かえたのは、彼の忠臣であるアスタラネモだった。
 ネモは跪き、臣下の礼をとりながら愛しげに幼い主君の名を呼ぶ。
 思いも寄らぬ再会に、ティキはしばし呆然としていたが、ゆっくりとした足取りでネモの側に近づく。
 そのままそっと手を伸ばし……

 「ネモ」
 「は、ティキ様」
 「許せ」

 短く言葉を告げるが早いか、剣を呼び出したティキはネモへと斬りつけた。
 銀光が閃き、アスタラネモが頭から両断される。
 しかし、光景に反し、ティキの予想通り手ごたえはなかった。
 霧散したネモの替わりに、甘ったるい香の匂いが鼻を突く。

 「……どこのどいつだかしらねえが、くだらねえ幻覚見せやがって……!」
  
 幻とは言え、親代わりにも等しい相手に切りつけるのは面白いものではない。
 ティキはいらだたしげに異星剣を握り締める。

 「相変わらず乱暴だな」

 四散した煙のようなものが再び集まりだす。
 同時に、呆れたような、しかしどこか楽しげな声が響く。
 どこかで聞いたことがある。誰だ?

 「本物のネモだったらどうするつもりだったんだ?」
 「ネモならパトラやタートルと共にあるはずだ。
  無為な単独行動を行うほど、おれの部下は馬鹿じゃねえ!」

 問いに、ティキは警戒を緩めず、鋭い目で声の聞こえる方を睨みつけた。

 「だが、会いたかった。だからおまえは幻を見たんだ」
 「ご託は良い! ……お前は何者だ!? 姿を見せろ!」
 「おれは――お前だよ」
 「!?」
 
 ティキが言葉の意味を理解するより先に、靄は再び形を取り、人の姿を成した。
 そこにいたのは鋭い目つきの少年だった。
 オレンジがかった金髪はみつ編みに編まれ、異国の衣装を身に着けている。
 彼が……ティキが、幾度となく鏡で見てきた顔だ。

 「……くだらねえ幻覚を見せるなと言ったはずだ!」

 再び繰り出された剣を、幻のティキは身を逸らして避ける。

 「幻覚なんて言葉で片付けるんじゃねえよ。
  おれはお前だ。お前の深層心理が具現化した存在だ……とでも言えば、理解できるか?」
 「深層心理だと?」
 「向き合うのが怖いって顔してるな。
  だが、お前それを口にすることはできない。強がりは十八番だからな」

 ティキ――幻の方だ――の目の中に、一瞬、ひどく寂しい光がよぎる。
 認めたくない。
 認めたくはないが、彼はその表情を何度も鏡で見た事があった。
 それは自分が荒涼感や悲哀を押し殺している時の顔だ。  
 
 「フェニックスをどうした」

 嫌な汗をかいているのを感じながら、ティキは幻に問いかける。

 「フェニックスか……心配だよな」

 ぐしゃぐしゃと……彼がよくそうするように、幻の自分が頭をかく。
 まるで鏡を見ているようだ。妙に幻想的な感覚がティキを襲う。
 甘ったるい香りのせいだろうか。なんだか、頭までくらくらする。

 「あいつ、バカ強ぇくせに抜けてるからな。
  よく泣くし、女子供には弱いし、ヘマもしょっちゅうしやがる」
 「…………」
 「……だけど……すげぇ良い奴だよな」

 幻の瞳がふと柔らかい表情をうかべた。
 自分にこんな優しい顔ができるのだと、ティキは初めて知る。

 「……ああ」

 なんとなく気恥ずかしくなり、ティキは目を逸らした。
 いつも以上にぶっきらぼうな自分の声が響くのを、他人事のように聞く。
 幻は語る。
 二人のティキの声が混ざり、どちらが自分の発したものか、次第にわからなくなってきた。
  
 「おれはこの星に来るまで、天使も悪魔も見下していた。
  くだらない因習に縛られ戦い続ける、おろかな種族だと。
  だが、触れ合ってみると天使もお守りもおれ達帝国の人間と変わらなかった。
  笑い、泣き、必死で生きている一つの命だった。」

 二対のエメラルドが見詰め合う。
 片方は戸惑いを持って。もう片方は確信を持って。
 気がつけば、ティキの手からは剣が消えていた。

 「その中でも、あいつらは特別だった。
  過酷な運命に弄ばれてるのに、おれと違ってひねくれてもいねえ。
  フェニックスだけじゃねえ。
  マリアは気持ちいいくらい鼻っ柱が強いくせに可愛い所があるし、
  アスカは弟みたいに慕ってくれる。戦士としての将来性も悪くねえ」

 「…………ああ」

 「おれは帝国の第一王位継承者だ。
  いずれは王に……絶対者になる存在だ。
  だから、おれは強くなければいけなかった。
  そうでなければ、ネモ達はおれを見放すかもしれない。ずっとそれが怖かった。
  だが……初めて、仲間が出来た。
  媚びもせず、ひれ伏しもしない……対等な仲間が。
  ダチができると、こんなにも心が満たされるとは思わなかった」

 「…………」

 無言は肯定だった。
 照れくさくて気恥ずかしくて、普段は見ないようにしている気持ちだったが、
 フェニックスたちとの旅はティキにとって、初めて心から笑う事ができる時間になっていた。
 
 「思わないか? フェニックスみたいに、おれももう少し、素直になりたいと。
  憎まれ口ばっかりじゃなくて大切だと伝えたいと」
 「……無理だ。ガラじゃねえ」
 「できるさ。おれはあいつらが好きだ。
  大切な……友達だ」
 
 そこまで告げると、幻は虚空に溶けるように消えた。
 ぼんやりとした心地のままティキが立っていると、いつの間にか背後から光が差していた。
 振り返れば天幕の出口が上がっている。

 (大切な友達……か)

 幻の言葉をティキは心の中で繰り返す。
 なんだか、ひどく暖かいものが胸の内を満たしていた。
 ティキは夢に浮かされたようにふらつきながらテントを抜け出す。
 と、人ごみの中に長い黒髪の後姿が見えた。
 
 「フェニックス!」

 声が自然と弾む。
 今は無性にその顔を見たかった。会いたい。会って、今の気持ちを伝えたい。
 
 「何やってたんだよ。まったくお前は――」 

 いつものくせで憎まれ口を叩きそうになるのを、咳払いでごまかす。 
 なれない事を言うのはやはり、照れくさい。
 ぼそぼそと言いよどんでいる間に、フェニックスが振り向く。
 
 「……その……心配したぜ」 

 勇気を振り絞って、ティキは言った。
 驚くだろうか。喜ぶだろうか。ティキは逸らした目をフェニックスへ、そろりと向ける。
 ――その瞬間、灼熱感が脇腹を襲った。



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