Episode 2-1


 北の都、悪魔軍前進基地より数百キロ。
 一機のヘリレオンが悠々と空を進んでいた。
 機体の中に備え付けてある簡易ベッドから身を起こしたリトルミノスは、あくび交じりでコクピットに向かった。

 「おはようございます、ミノス様」

 温和な笑顔と共に、ドリーメイジャスがすかさず茶を差し出す。
 眠気覚ましにはぴったりの、よく冷えたアイスティーだ。
 リトルミノスが起きてくる頃合を見計らい、予め淹れて置いてくれたのだろう。

 「調子はどうだ?」
 「はい。順調に飛行しています」
 「……一昨日も、昨日も、同じセリフを聞いたぞ」
 「す、すみません……」
 「おまえが謝る事じゃないさ。この星が無駄に広いのがいけないんだ」

 小さくなるメイジャスに、リトルミノスは壁にもたれかかりながら横柄にひらひらと手を振ってみせる。

 「ヘリレオンじゃなくてクレインバスターでも奪ってくればよかったな」
 「は、はぁ……」 

 今頃は始末書を押し付けられているに違いない魔装甲デモへ、メイジャスはこっそり同情を向けた。
 ヘリレオン一機と違って、再建されたクレインバスターはデビルゼウスのお気に入りである。
 リトルミノスの言葉がもし実行されていたら、更に面倒な事になっていたに違いない。
 もっともメイジャスからすれば、その自由奔放さが彼に憧れる要因の一つなのだが……。
 
 「それにしても退屈だな。もっとスピードは出せないのか?」
 「あまり速度を上げると機体の損傷が起こりやすくなります。
  わたしたちだけではメンテナンスできる部分が限られていますから……」

 やんわりと告げるも、彼女の主は次第に不服そうな表情になる。 
 メイジャスはその表情に弱かった。

 「わかりました。
  どこまで出来るかわかりませんが、速度処理関係のプログラムを調整してみます」
 「そうか。期待してるぞ」
 
 メイジャスの返答に、ミノスの表情がぱっと明るくなる。
 アイスティーを飲み干すミノスを横目に、メイジャスはコントロールパネルの一つに向かった。
 席について頭上に生えた触手を伸ばし、端末へと進入を開始する。
 プログラムの海の中へ意識を漂わせながらパネルを操作すれば、飛行音の中に電子音が混ざった。 
 
 「……いつも思うけど、おまえ、よくこんな退屈そうな事ができるよな」
 「え?」

 気がつけば、いつの間にかミノスが横合いから画面を覗き込んでいた。
 オーデコロンと汗の混じった香りが鼻をくすぐり、メイジャスは頬を高潮させた。

 「あ、あの、ミノス様……」
 「なんだ?」
 「その……少々、お顔が近いです……」
 「近づかないと見えないじゃないか」

 消え入りそうな声で身を縮めるメイジャスを不思議そうに一瞥すると、ミノスは適当な椅子に腰掛けた。
 メイジャスを気遣ったわけではなく、単純に文字の羅列を見るのに飽きたのだろう。
 メイジャスはといえば、まだ赤くなったままである。 
 よくよく聞けば、電子音が奏でるリズムが先程よりも幾分か乱れている。

 (……。……やはり、一人で行動するべきだっただろうか)

 コクピットの一番前の椅子の背に持たれかかり、狸寝入りを決め込んでいたサラジンは、アイマスク越しに目を開けながら、二人のやり取りに動けずにいた。
 直感的なものだが、今流れているこの空気を壊すのは、なんとなくはばかられたのだ。
 三者三様の思いを乗せ、ヘリレオンは進む。
 バイオミュータント達の一日は、おおむね平和だった。



 大空を飛行するのはヘリレオンだけではなかった。
 ただし、こちらは落とす影が四つ。フェニックスたちだ。
 彼らは山岳地帯の上空を進んでいた。
 側に都市がなく未開発のためだろう。
 魔雲ガスは漂っておらず、抜けるような青空が広がっている。
 風も暖かく、非常に心地よい。
  
 「こんなに良い天気だと、飛ぶのが気持ち良いわねえ」
 「そうだね。いつもこうだと良いんだけど」

 マリアの言葉にフェニックスが同意する。
 雨の日などはろくに移動が出来ないため、天候の恩恵は素直に感謝する所だった。

 「ティキ、石版の光はどうだい?」
 「相変わらずってとこだな。まだ先にあるらしい」
 「まあまあ。せっかくの陽気なんだし、のんびりいきましょ」
 「……おまえはのんびりしすぎなんだよ」
 「欠片の大きさからすれば、あと二つって所かな。もう少しだよ」

 ティキとマリアがじゃれ合いという名の言いあいに入るのを、フェニックスがやんわりと制す。
 と、そこで手を引かれていたアスカ――最近はずいぶん理力もつき、浮くくらいなら支えが要らなくなったのだ――が物言いたそうにしているのに気づき、フェニックスは首をかしげる。

 「どうしたんだい? アスカ。何か言いたそうだけど……」
 「ねえねえ、兄ちゃん。石版、四つ集まったんだよねえ」
 「……? そうだね」
 「そうそう、集まったんだよ四つも!」
 「う、うん」
 「あれぇ? そういえばおいらたち、何人で行動してたっけ?」

 やたら四を強調してくるアスカに、意を悟ったティキがめんどくさそうに答える。

 「3.5人だろ。半人前が一人混ざってるからな」
 「それなら四捨五入すれば四人だね! そう、四人だよ!」
 
 だが、アスカも簡単にめげない。
 すかさず切り返し、期待に満ちた視線をティキに向ける。

 「……石版なら持たせねぇぞ」

 きっぱりはっきり宣言するティキに、アスカが不満の声をあげる。

 「なんでさー!? 石版が四つ、おいらたちが四人!
  兄ちゃんだっていくつも一人で持つの、重いだろ? ここはやっぱり平等に……」
 「持たせて悪魔に盗られるってか? 良いか、石版は強い奴が管理しておくべきなんだ。
  おまえみたいな半人前には十年早いんだよ!」
 「なんだよ、ケチ! いいもんね、もう頼まないよ!
  ねえ、フェニの兄ちゃぁん。石版、持たせてよ。いいだろ?」
 「え? ええ、ぼく?」

 戸惑うフェニックスを無視して、アスカの手がすばやくそのポケットに滑り込んだ。
 
 「へへっ、石版ゲットだぜ!」
 「ちょ……駄目だよ、アスカ! それは預かった、大事なもので……」
 「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
 「アスカ! 石版はオモチャじゃねえって何度言わせればわかるんだ!
  フェニックス、おまえもあっさり盗られてんじゃねえよ!
  ……ほら、返せ!」
 「やだやだー! おいらも持つー!」
 「ティキ、アスカ! やめろよ!」
 
 石版を持ったまま、何とか前進しようとするアスカと、前に回りこんだティキが揉みあう。
 二人を諌めようとフェニックスが手を出した。
 ……結果的にはそれがいけなかった。

 「あ!」

 ティキの攻撃によって緩んでいたアスカの指先にフェニックスの手が当たり、石版がはじき飛ばされたのだ。
 石版の欠片は重力に従い、あっという間に落ちていった。
 
 「……」

 誰もが唖然と、もう見えない石版を目で追う。

 「お……おいらのせいじゃないもんね。
  ティキの兄ちゃんが無理矢理取ろうとするから……」
 「な!? もとはといえばおまえがワガママを言い出すからだろうが!
  だいたい、フェニックス、お前が余計な手出しをしなければだな!」
 「ええ!? ぼ、ぼくのせいなの!?」
 「……アンタ達……」

 責任をなすりつけあっていた少年三人は、少女の低い声にびくりと肩を震わせた。
 見れば……見なくてもわかったが……マリアが呆れを通り越して怒りの表情を浮かべている。

 「ま、マリア……?」

 恐る恐る、フェニックスが声をかけた。この場合、非常に勇気ある行動と言えただろう。

 「バカな事やってないでとっとと探しにいきなさい!!!」
 『は、はいっ!』

 八重歯もあらわに叫んだマリアに、三人は慌てて降下する。
 ぶつぶつと怒りを表しながら、マリアも続く。
 それなりの高度から落下したのだ。
 導きの光があるとはいえ、山の中から石版を探すのは少々骨かもしれない。
 とはいえ、これ以上マリアの怒りを買いたくない三人は粛々と地上に向かう。
 緑の塊だった木々の枝葉が、次第に識別できるようになり、地表が近づいてきた。

 (……なんだ?)

 上空二十メートル程の地点だろうか。不意に、空気が変わったのを感じ取り、フェニックスは眉を寄せた。
 他の三人も同様だったのだろう。降りるスピードを落とし、視線を交し合っている。
 
 「とにかく、行ってみよう」

 じっとしていても何もわからない。
 フェニックスは宣言すると、アスカの手を引きながら率先して木々の隙間に身を投じる。

 ――不意に、視界が開けた。

 「これって……!?」
 「街!?」
 
 上空からは、そこは確かに山にしか見えなかった。
 しかし今、目の下には煌びやかな町並みが広がっている。
 磨き上げられたような建物はきらきらと輝き、華奢な金細工があちこちに施されていた。
 人通りもかなり多い。皆、一様に楽しそうな表情をしている。
 その空気に誘われるように降り立った四人は、あっという間に人ごみにもみくちゃにされる。
 
 「ちょっと! あんたたち邪魔だよ!」

 かけられた声に後を振り向けば、神輿がこちらに迫ってくる。
 四人は反射的に下がって、道を空けた。
 ――フェニックスとティキは右に、マリアとアスカは左に。
 
 「さあ、一緒に今日を感謝しましょう!」
 「うわ、ちょ、ちょっと!?」 

 神輿の後からは、華やかな衣装をまとった乙女達がくるくると舞いながら続く。
 フェニックスたちの戸惑いなどそ知らぬように腕を取り、肩を抱き、踊りに巻き込む。
 賑やかな音楽が鳴り、どこかでファンファーレが響いた。
 ……パレードが通り抜けたあと、向かいを見ても仲間の姿はなかった。 
 お互い、人ごみに完全に流されたのだろう。

 「あちゃー……面倒な事になったわね」
 「これだけ人が多いと、兄ちゃんたち見つけるの、大変だね」
 「まあ、それは何とかなるでしょ。最悪、石版があるし」

 手をつないでいた事で、辛うじてはぐれるのを免れたマリアとアスカは、乱れた髪を直しながら改めて周囲を見回した。
 ふと、その中の一人と目が合う。コック帽をかぶり、両手で皿を支えている男だ。
 
 「黄金郷へようこそ、マドモアゼル! 良かったらおひとついかがかな?」

 差し出された皿には一口サイズの料理が幾種類も乗り、かぐわしい香りを放っている。
 そこには肉料理まであった。今の時世、肉はなかなか口に入らない。
 時折アスカが動物を狩って来ることもあるが、野生のものだけあって、味はかなりワイルドなのだ。
 
 「食べる!」
 「ちょ、ちょっと、姉ちゃん!?」

 目を輝かせたマリアは、アスカの制止もどこ吹く風。肉の欠片に手を伸ばす。
 噛み締めれば肉汁と共に、とろけるような食感が口いっぱいに広がった。

 「美味しい!」
 「それは良かった」
  
 次の料理に手を伸ばすマリアに、諦めのため息をつき、アスカは男に問いかける。

 「ねえ、えらく豪華だけどさ。ここには悪魔は来ないの?」
 「来ないね。
  この街の上空一帯は昔から偽装ホログラムが張ってあってね。
  上からはただの山にしか見えないんだよ。
  そんなことより、今日は聖神様に感謝を捧げる祭りの日なんだ。
  坊やもおひとつどうだい?」
 「んー……」

 男の説明は理に適っている。しかし、いまひとつなにかが納得いかない……ような気がする。
 料理に手を伸ばすべきかどうか迷っていると、アスカの肩を別の男が叩いた。

 「兄さん兄さん、よかったらアルバイトをしないかい?
  お札を数えて札束にする仕事なんだけどさ、枚数が多くて人数が足りないんだよ!
  数えた分の三分の一はあんたの報酬にすっからさ、な、頼むよ!」
 「三分の一!?」

 三分の一。破格の報酬だ。
 いったい、この街はどれほど豊かなんだろう!?

 「行って来なよ、アスカ。アタシもまだ、食べたりないし。
  せっかくのお祭りなんだもん、フェニックスたちを探すのはあとで良いよ」
 「ね……姉ちゃんがどうしてもそう言うなら……」

 口では渋って見せても、アスカの顔はにやついている。
 生活能力を持たない仲間を養う身にとって、軍資金を得られるのはとても魅力的だった。
 もちろん、それ以前にアスカが金持ちに憧れる気持ちもあったのだが。
 
 「ぼくらも行こうか、マドモアゼル。
  もっとたくさん料理があるところに連れて行ってあげるよ」
 「ホント!?」

 スキップしそうな勢いの二人の頭の中からは、フェニックスたちの事は完全に抜け落ちていた。



 「参ったなぁ……」

 人ごみの中、フェニックスは呆然と立ち尽くしていた。
 これだけ人が多くては、どうやってはぐれた仲間を探して良いものか。
 石版の欠片が手元にあれば、それを頼りに探す事もできたのだろうが……。

 「もし、そこの方。お迷いですかな」
 「わ!?」

 腕組みをして唸っていたフェニックスは、突然かけられた声に身をすくませた。
 振り返ればそこには、くすんだローブを着た人物が立っていた。
 フードを目深に被っていて顔は見えない。声も、なんだか中性的だ。

 「あの……?」
 「道を示すが私の役目。お迷いなら着いていらっしゃい。
  きっと、会いたい方に会うことができますよ」

 それだけ告げると、その人物はさっさと歩き出した。
 反射的に続くフェニックス。

 (会いたい人に会える……かぁ。
  もしかして、待ち合わせ場所の定番とかを教えてくれるのかな)
 
 これだけの騒ぎだ。はぐれる人間は少なくないのだろう。
 そう納得して、フェニックスは歩みを進める。



 「――あのアホ!」

 人ごみから逃げるように空に浮き上がったティキは、
 見るからに怪しげな人物に着いて行く長い黒髪の頭を見つけ、思わず叫んでいた。
 二人の歩みは思いのほか早く、油断するとまた見失いそうだ。
 
 「フェニックス!」

 呼びかけてみるが、喧騒にかき消されたのだろう。反応はない。
 ぐしゃぐしゃと頭をかき、ティキは雑踏の中へ無理矢理体をねじ込み、着地する。

 「なにやってんだ、あいつは……!」

 そうこうするうちに二人は、一軒のテントの中へ姿を消した。
 強引に人の波を抜け、ティキもまた、その天幕をくぐった……。



TOP inserted by FC2 system