Episode 1-2


 レッド頭巾王は悩んでいた。
 メカ天使らしい硬質の額に器用にしわを寄せて、白いひげを弄りながら、眼前の人物達を瞳に映す。
 粗く削った木を無理矢理くっつけた、形だけのテーブルを挟んで、そこには四人、子どもらしからぬ覚悟を瞳に宿した少年少女がいた。

 「悪魔の手から離れるなら、今しかないと思う。
  あなたたちはぼくたちが守ります。信じてくれませんか」

 少年達の言葉はどこまでも真剣だ。
 迷いのない瞳で見据えられ、レッド頭巾王は軽く瞑目する。
 彼はずっと、このスラムに残された子ども達の親代わりをしてきた。
 悪魔達の要求は年々きつくなって来ている。少年達の言うとおり、潮時なのかもしれない。
 だが。

 「あんたがたの提案は、とても魅力的じゃ。
  ――リスクさえ考えなければ」
 「リスクなんて、あってもアタシらがなんとかするって!」

 唇を尖らせてマリアが反論する。
 不満げなその声色は自分達の実力に対する自信の表れだ。
 レッド頭巾王は小さくため息をついたあと、緩やかに首を横に振って見せた。

 「果たしてそう簡単にいくかのう。
  この街は狭いようで広い。悪魔軍の基地もある。
  そんな中を子ども達が外まで無事にたどり着けるじゃろうか?
  よしんば辿りつけても、聖樹キングダムに着くまでの間の旅で参る子どももいるじゃろう。
  ……守ると言うてくれたが、おんしらはそこまで付き合う事は出来んじゃろう?
  ザイクロイド・アノドとお守りの命。優先するべきはどちらじゃ?」
   
 「だったら!」
 「ぼく一人でも残る、なんて言うなよ?フェニックス。
  じいさんの言うとおり、俺たちの旅もそんな甘いもんじゃねえ」
 
 腰を上げかけたフェニックスは、ティキの言葉に水をさされ、居心地悪げに再び席に着いた。
 何気なしに目の前のカップに入ったお茶に目をやると、とうに冷めていた。
 思っていた以上に長い時間が経っていたのだろう。
  
 「かというて、このままというわけにはいかんしのう……どうしたものか……」
  
 レッド頭巾王が優柔不断なわけではない。
 この地に骨を埋めるつもりで細々と暮らしてきた身には、決断の規模が大きすぎるのだ。 
 再び流れはじめた沈黙に、フェニックスは歯がゆい思いで胸をいっぱいにした。

 「――じいちゃん。行こうぜ!」

 答えの出ない時間がまだ続くかと思われた瞬間、助け舟は意外なところから現れた。
 閉じられていた扉が開き、その先の部屋で、子ども達が一様に唇を引き結んでる。
 彼らは今頃、ベッドに寝かしつけられている筈だった。
 咎めの視線を向けられた年かさの少女――アイリはバツが悪そうに笑いを返す。

 「……ごめん、おじいちゃん! 聞き耳立て始めたら止められられなくなって……。
  みんなで聞いちゃいました……」

 先ほど言葉を発した子どものうしろ、本当に扉に耳をくっつけていたのだろう。
 ややバランスを崩しながら両手を謝罪の形に合わせている。
 一瞬微笑ましい気分になりかけて、レッド頭巾王は緩みかけた表情を慌てて厳しいものに戻した。
 
 「ねえ、じいちゃん。俺行きたい!」
 「チャオ……聞いておったのならわかるじゃろう。
  これは、そう簡単に結論を出せることではないんじゃよ」
 「でも、俺は行きたい!」

 チャオと呼ばれた少年が一歩前へと踏み出す。
 
 「超聖神様がどうのとか……難しい事はわかんなかった。けどさ!
  この兄ちゃんたちだって行かなきゃいけない所があるんだろ!?
  俺たちだって、頑張らなきゃ駄目なんじゃないか!?」
 「おじいちゃまやアイリおねえちゃんには、感謝してる。
  でも、無理して守ってもらうのはもう嫌なの……。……私も行きたい……」

 リーダー格の子ども達のセリフを皮切りに、おいらも! ぼくも! と子ども達が一様に声をあげる。
 どの目も絶望はしていなかった。
 自分の手で未来が切り開けるかもしれないという希望と期待を一心に込めて、レッド頭巾王を見つめている。
 まぶしいものを見るように目を細めて子ども達を見据えた後、レッド頭巾王はアイリに目をやった。

 「……アイリ。お前さんはどう思う」
 「あたしは……皆を守るわ」

 アイリが返したそれは、応とも否とも、どちらとも取れる返答だった。
 レッド頭巾王は再びひげを撫で始めた。どうやら、この老人が考える時のクセらしい。
 誰もが注目して、まとめ役の次の言葉を待っている。

 「……問題は、悪魔軍の基地を四人で潰せるか、じゃな」

 座がわいた。
 その返答と、老人の笑顔……苦笑に近かったが……は限りなく前向きなものに思えたのだ。

 「来るときチラッと見たけど、けっこう、大きな基地だったわよね」
 「制圧するのにはちょっと時間がかかるかもしれねぇな……」

 早速作戦会議を始めるティキとマリアを横に、アスカがにんまりと笑いながら手を上げた。

 「……あのさあ、おいら、良い考えがあるんだ。」 



 「ったく! あのオンナ……タダじゃおかねえぞ……!」

 地面に打ちつけた時に負った傷だろう。ズキズキする頭をさすりながら、男は基地へと向かっていた。
 フェニックスにのされた、あの悪魔である。
 もっとも、本人はアイリに手を出されたと思っているわけだが。
 
 (悪魔に逆らったらどうなるか、思い知らせてやる)

 向こうも今頃は覚悟をしていることだろう。もしかしたら、ベッドで震えているかもしれない。
 生意気な女にどう『落とし前』をつけさせるか想像するのは、男にとっては楽しいものだった。
 しかし、残念ながら妄想の時間はそう長く続かなかった。
 
 「――おい、なにニヤけてんだよ! 緊急招集だ、急げ!」

 早足に駆けて行く同僚の言葉に、男も慌てて後に続く。
 ふと気がつけば、同じように走っている姿が幾つも見える。
 悪魔軍の実験施設の一つであるこの基地で、これほど大規模な招集がかかった例は、未だない。

 (……何が起こったんだ?)
 
 首をかしげながらも男は足を速める……。
 


 雑談に興じながら悪魔兵達が待つ事しばし。
 ノイズ交じりのスピーカーからアナウンスが流れ始めた。

 『俺だ』

 放送の主は魔ク魔人……中央から送られてきた、この基地を総括する悪魔である。
 普段は実験棟の方に篭りきりなこのリーダーが、自ら演説を行うというのも、極めて稀だ。
 いったい何が起こったのだろうと悪魔兵たちは互いに目配せしあう。

 『――第一級賞金首のフェニックスどもがこのエリアに入った。
  つぶせ。
  無理でも、警戒レベルをマックスにしてこの基地の存続だけは守れるようにしろ』

 なるほどね、と雑兵たちは苦笑しあう。大天使達相手に自分達が敵うわけない。
 自分達はどうせ下っ端、お偉方にはオオゴトかもしれないが、いつもどおり適当にやっていれば良い。
 その場のほぼ全員がそう思っていた。散開の雰囲気が一気に広がる。

 『以上で――』

 と、ぷつ、と音を立てて、演説の終わりを示す言葉が途切れた。
 それっきり、何の反応もない。
 待機するべきか哨戒に向かうべきか、ざわざわとした空気が次第に流れ出した。
 その時。

 「な、なんだ!?」

 いきなり、暗闇が悪魔達を襲った。電源と言う電源が、いっせいに落ちたのだ。
 足でも踏むかもしれないと、動けずにいる所に誰かが叫ぶ。

 「おい、来てくれ! 隔壁が降りている! 出られねえ!」

 ――パニックが訪れるのは、あっという間だった。



 「しっかし……マップがあるとは思ってたけど、見れば見るほど詳細だなぁ」

 悪魔軍基地の天井裏で、立体データマップを片手に、アスカは感嘆の声を漏らしていた。
 そこには幾つものライン――裏道や、この天井裏や、生活用の配管の配置などが示されている。
 少年……チャオと呼ばれていた、リーダー格の少年が得意げに鼻を鳴らす。

 「俺達みたいに路地裏を仕事場にしてる奴らにとっては、
  幾つ裏道を知ってるかが生き延びる鍵になることも珍しくないからな」
 「それにしても、どんだけ忍び込んできたんだよ、チャオ?」
 「アスカこそ、こんな作戦を思いつくなんて、どんな四戦士様だよ?」
 「へへっ、そこはおいらも裏道仲間だからな。
  一時的に電源落として、その間に食い物ちょろまかすなんて、よくある手だろ。
  まあ、ここまで大規模にやれるのは、人数いるからだけどさ」

 そんな他愛のない会話を繰り広げる間にも少年たちの手は器用に動き続けている。
 また一つ基地の要所を仕切る隔壁が降ろされ、送電線がカットされた。
 電力が復旧し隔壁が取り除かれるまでにはそれなりに時間がかかるはずだった。
 
 「あー、悪魔達の慌ててる顔が目に浮かぶぜ! 直に見れないのが残念だ」
 「言えてる言えてる」

 旧知の友のように、二人はうししと笑いあう。
 自分達の仕事の配分……足止めは十二分に果たした。
 今頃は他の子ども達も同じように役目を果たし終えているだろう。
 後は脱出だけだ。
 
 (兄ちゃんたちも、しっかり頼むぜ……)

 暗がりを這いながら、アスカは胸の内で祈った。
 なにせ、今回ちょろまかすのは食べ物なんかではないのだから。



 「始まった!」
 
 作戦遂行の時間になった事を知らせたのはアイリのソプラノだった。

 「行けるかい?」
 「そっちこそ、ヘマしないでよね」

 ペンライトで先を照らしながら尋ねるフェニックスに、データマップを手にしたアイリが答える。
 相変わらず気の強さを滲ませる挑戦的な返答にフェニックスが苦笑していると、早く、とその背が押された。
 施設と施設の間にできた空間は狭く、暗い。
 蜘蛛の巣を掻き分けながら進むと、漏水でもしているのか、時折冷たい雫が天井から振ってきて少年の黒髪を濡らした。
 暗がりを進む内、ほどなくしてアイリが口を開いた。

 「それにしても、あのアスカって子、凄いわね。戦士より怪盗の方が似合ってんじゃない?」

 揶揄が込められてはいるものの、悪戯っぽいそれは決して悪意を含んではいない。むしろ、尊敬の念すら感じさせる。
 アスカの考案した作戦とは、子ども達の移動用にヘリレオンを奪おうと言うものだった。
 その目的の目くらまし兼時間稼ぎに、基地の隔壁を下ろし、電気系統を麻痺させる。
 無茶だ無理だとティキ達が反対するより先、アスカを含む子ども達の間でてきぱきと役割が割り振られ、気がついた時には作戦は実行可能なものになっていた。
 あれにはぼくもびっくりした、とフェニックスは笑う。 

 「でも、乱闘を仕掛けるより、効率的だと思う。何より、死者が少なくてすむ」
 「……死者が?」
 「悪魔だから、天使だから、殺して良いなんてのは間違っているんだ。
  アノドの思惑に、ぼくたちまで乗せられる必要はない」
 「――アノド――。」
 
 それっきり黙り込み、足を止めたアイリを不審に思い、フェニックスが労わりの言葉をかける。
 
 「どうかしたかい?」
 「……あ……。ごめん、ちょっとぼーっとしてた。何か言った?」
 「いや、特には……大丈夫?」
 「ええ。心配かけてごめんなさい」

 軽く頭を振って再び暗闇を進むアイリの姿に、フェニックスもまた、黙って隣に続く。 
 
 「ねえ」
 「なんだい?」
 「……憎くはないの?」

 今度は、フェニックスが不意を着かれる形になり、言葉を失った。
 悪魔が憎くないのかと、彼女はそう問いかけているのだ。
 憎くないわけがない。悪魔は、幼い彼から幾つも大切なものを奪っていった。
 だが――

 「……わからない」

 絞り出した声は、我ながら吐息のようだった。
 それでも、バイオミュータント達との戦いや、源層界での出来事は彼の内面を確かに変えていた。
 半ば独白のようにフェニックスは言葉を続ける。
 
 「ただ、このまま憎しみに流されていたら……取り返しのつかないことになる」
 「……取り返しのつかないこと?」
 「みんな滅びるんだ。悪魔も、天使も、お守りも、海の帝国も。みんな」
 
 まさか、と笑おうとしたアイリは、フェニックスのあまりに真剣な眼差しに射すくめられ、息を飲んだ。
 少年の瞳は彼女に向けられているものの、彼女を通り越してどこかずっと遠くを見ているようだった。
 目の前の少年が急に大人びて見え、アイリは知らず、視線を逸らした。

 「……天使って、たいてい、悪魔を憎んでるわよ?」
 「そうだね」
 
 落ちた沈黙を嫌うように発したアイリの言葉に、フェニックスが頷く。
 どことなく寂しさを交えたような声音に、アイリはふくれっつらで更に言い募る。

 「悪魔なんか、話も聞いてくれないじゃない」
 「それでも、伝えなくちゃ」
 「あなた、バカでしょ?」
 「よく言われるよ」
 
 照れくさそうに笑ったフェニックスの面立ちは、先ほどとは一変、親しみの持てるものだった。
 つられて笑みを浮かべそうになり、アイリは慌てて表情を引き締めなおした。
 それ以上は言葉を交わさず、二人は目的の地点を黙々と目指す。
 二人分の靴音が、時計の秒針のように時を刻んでいくと、ふと、目の前にかすかに光が差した。
 通風口だ。マップデータとも一致している。
 明りに瞳を細めて奥を覗けば、格子の間から部屋の様子が見て取れた。間違いない。ここだ。
 二人は目配せし――フェニックスが通風口を蹴破った。
 突然の乱入者に、中に居た兵士達が慌てて銃を取ろうとする。
 しかし、それより先にフェニックスの剣が、アイリの蹴りが、その場にいた悪魔を昏倒させた。

 「……予定通り、ここだけは電気系統を生かしてある。
  良い仕事するじゃない、チビたち!」

 適当な一台を見繕い、整備パネルへとアイリは指を伸ばす。
 電子音が何度か響いた後、ヘリレオンの搭乗ハッチが開いた。
 すかさず乗り込み、アイリは操縦席へ向かい、フェニックスは剣を構えたまま後方を警戒する。
 ヘリレオンは順調に操作されているらしく、背後から電子音が不規則に聞こえる。
 フェニックスは思わず感嘆の声を漏らした。
 
 「凄いね。飛空挺を操縦できるなんて」
 「なに言ってんの、やった事なんてないわよ」
 「え!?」

 予想外の返答に、フェニックスは目を丸くした。
 そんな。それでは作戦自体が台無しではないか!
 そんな気は知らぬとばかりに、アイリは気楽な声で大丈夫、と返す。 
 
 「前さ、おじいちゃんが悪魔軍のネットにハッキングして、ヘリレオンのマニュアルを一部落としてきたことがあるのよね。
  こんな事もあろうかと……ってわけじゃないけど、ばっちし仕込まれたから。
  ようは座標だけ合わせて飛ばせば良いんでしょ?
  自動操縦にするくらいなら、見よう見まねで何とかできる。はず」
 「そ、そう……」
 「おじいちゃんが来られれば確実だったんだけどねー。
  あの老体にこの強行作戦は無理でしょ。
  天聖界にいた若かりしころは赤い彗星とか何とか、恐れられていたらしいけど……
  ……っと、できた!ハッチが閉まるわ!降りて!」

 ゆっくりと飛び立ち始めたヘリレオンから、二人は慌てて離脱する。
 再び整備パネルの前に立ったアイリが操作を行うと、ほどなくしてドーム状の天井が二つに開いた。
 自動操縦モードに入った機体は、パイロットがいないことなどお構いなしに
 目的の地点――街から数キロ離れた丘――を目指し始める。
 同時にフェニックスが通信機のボタンを押す。
 これでティキたちの通信機に作戦の成功を知らせる点滅が起こったはずだ。
 
 「あとは、どこまで守れるか、ね……」
 「守ってみせるさ。必ず」

 サイバーアップした二人は、ヘリレオンの背を守るように、閉まりつつある天井に滑り込んだ。



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